yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「『ジェイン・エア』に続いて」

2019.09.23

 

 


一気読みした。

最近「ジェイン・エア」を読んだところだったのでブロンテ姉妹の作品をまた読みたいと思い、手に取ったのだけど、作者が違うのだから当たり前だけれどもまたまったく違った雰囲気の作品で、放たれている異様な雰囲気に絡め取られて読み進めるのをやめられなかった。

考えていたのはひとりの人間がいるとしてでは何をもってあの人はああだとかこうだとかいえるのだろうか、ということだった。その人の印象のようなものが出来るのだろうかということだった。
小説に出てくる人たちは気性が激しかったり燃えるような自分でも制御できない何かにとらわれていたり暴力的だったりと様々だけれど、でもたとえば一番強烈な存在感を放つヒースクリフでいうとヒースクリフの育った環境や受けた仕打ちはお世辞にも良いとはいえないもので、むしろ酷いもので、でもその中でもキャサリンとの日々があり、様々揺れ動くものが出来て行ったのであってならばもしヒースクリフが、そもそも引き取られることなどなかったら?とかそこまではいかなくとも向かいの屋敷で育っていたら?とかまたはたった一日でも数時間でも良いから別の日が存在していたならどうだろうとか、その中でとても印象的な人生の核になるような出来事があったらとか、分からないけど、そんなたらればなんてないんだけど言い出したら終いなんだけど思う。というのはヒースクリフだけではなくて、後半では別人のようになる登場人物もいたりして、変化する、というのは当たり前のようであっても、人と人の間にあるもの、ないものって何なんだろか。ヒースクリフはいつから何をもってのヒースクリフなんだろうか。
とか、物語の展開そのものも面白く読んだのだけどそんなことを考えてしまっていた。
それでやっぱり人間の状況が正義やら何やらと遠いところから深く書かれている小説は面白いなあと思う。色々が考えられて。

次は何を思うかなあ、また読みたいなあ、ほかにはブロンテ姉妹の作品どんなのがあるのやろうか、ああ読んでも読んでも冒険の日々よ気分は未だ海外文学一年生初日いちぺーじめ