ずっと好きで読んでいた作家のインタビューを夜中、一気に読んでいた。
最近はもう本を読む余裕がないし、その作家の新作も読んでいないんだけど。
若かったとき、とにかく憧れで、文体も好きで。
貧困家庭で育ったという共通点もあって無我夢中で読んだしすごく考え方にも影響があったし。
でも読んでいるうちに、いや自分はそこまで頑張れないよ、と悲しく苦しくなっていったんだよな。
それで読まなくなってしまった。
サイン会にも行ったし、お手紙も書いたし。
そのときの気持ちには今も嘘偽りないんだけど。
そのインタビュー読んでいても思ったけど、そして作品を読んでいるうちに感じたしんどさっていうのも最近分かってきたなあ。
何がいいとか誰が悪いとかそんなんじゃなく、ああこれは別の人間の視点の人生の言葉の連なりなんだなあと。書いてみたらいやそれ当たり前やろ、って感じなんだけど、でもこれってよくあることで、特に若い頃って誰かを勝手に神格化したり、自分と重ね合わせ過ぎたりとか。それで勝手に苦しんだりとか。あったなあ。
そこがやっと感覚的に理解できたのは大きかったなと思う。ああこれは自分というほかに世界に存在しないたったひとつの、それがどんな人生であろうが、それだけなんだってことが。
だっていまこうして嗅いでる布団の匂いとかも、自分しか分からないんだから。どれだけ文字で説明したって。
そして、貧困家庭一つとったって、
親に愛されたか、その愛され方がどうであれ、親にありがとうって思えたか、そんなことも一人ひとり違うんだから、別の物語になって当然なんだ。
私があの頃、あの作家の作品を読めなくなったのは、そんなこと言ったって、綺麗なこと言ったって、あなた親に愛されて、お母さんのこと好きで、それがどれだけ素敵なことかって、羨ましかったんだよな。もちろんお門違いなことってわかってる。その作家と作品とは別だってことも。
そしてその作家には作家の地獄があるんだってことも。
でもわたしもああお母さんに一度でも甘えたかったなあとか、お父さんってどんな人なんだろうなあとか、なんで施設にいなくちゃいけなかったんだろうなあとか考えてしんどかったんだろうな。その葛藤が続いていて自立なんてフェミニズムなんてまだ考えられる余裕ないよって勝手に憤っていた。でもその時期は、今思えば必死にそれらについても考え抜いていた時期だったなと同時に思った。
あの頃は先が真っ暗に思えていたし、でも笑顔もたくさんあったし、人生そんなもんだ。
今は今のどうしようもなさ、苦しさがあるけど、でもやっぱり笑顔はゼロじゃないから。
むしろ今しか今を生きられず、今しか味わえない愛おしさとか幸せもあって。そのことを忘れず、また本が読める時期が来るかは分からないけど、生きよう。
そして最後にあの時期、たくさんの作家の作品に触れられたことは間違いなく私の今を彩っているなあと感じた。後悔ない。