*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。
「過去と生きる」
2018.12.13
「いにしえの光」を読みながらずっと過去のことを考えていた。
“わたし” が過去を回想している。親友の母親との情事。まだ少年の頃だった。
読みながら思っていたのは記憶があまりにも鮮明だということだ。季節や場所は入れ替わりもするのだがまるで今目の前で起こっていることのように、照らされて光る廃墟や汗苦しい匂いが迫ってくる。突然始まったミセス・グレイとの日々。愛するという言葉の意味さえ知らない少年の中に眠っていた、あるいは出会いによって瞬間的に生まれた体内の力が暴発する。
振り返っている男は初老の俳優になっており、妻とふたり静かに暮らしている。突然舞い込んできた映画のオファー。ある日やってきた女性に男は語る、再び振り返る。娘の自死や時に全力でぶつかり合いながら過ごしてきた妻との時間。映画の撮影が始まり、過去と今がいちにちの中でごちゃ混ぜになって有名女優との関わりもあらたに加わる。
失われた時間はどうして遠くなるたびに色めくのだろう。生きているのは今なのに、道を歩いているときでさえ浮かぶのは過去の切り取られたページ。
物語後半、記憶とは自分に都合の良いものでしかなく、何を持ち帰るかもそれぞれの選択なのだと改めて思った。もう戻らないもの、そのときは在るのが当然だったものが消えて頭の中で何度も再生される。そぎ落とされ、より一層輝きを放ち、過去が今よりも強固ならば時間とはいったい何なのだろう。
読みながら私も過去を思った。同じ空間に居たとしてもそれぞれの過去がある。のであれば自分の過去を、たとえ色付けされていたとしてもあの時やあの感覚を、頼りに、今を生きていくしかないのだと思った。