yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

二度と戻らない今

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「二度と戻らない今」

2019.01.06

 


今更になるのだけれど、
去年のいちばんの発見といえば短編小説の面白さを知ったことだった。私はそれまで長編小説を意識的に手に取っていたから。

幼少期の主人公に出会って、なにも分からない目の前のものたちに手探りで向かってゆくことのできるだけ同じ景色が見たい。
少年・あるいは少女だった主人公は性を知る。気持ちに正直になることだけでは、日々をすんなりこなしていけないことに気付いた後はもう、それがいくつであっても子どもとは呼べなくなっていて、過去には戻らず時間は過ぎて行き、その呆然とするしかない事実を私でない人生を通しながら体験できることがうれしかった。

「ミスター・ピップ」、「ひとりの体で」、「大いなる遺産」。
忘れられない物語というのはたくさんあるけれど、ある日突然放り出された私たちの今だった時間はどうして二度と戻らないのだろう。とおい国の私でない過去の出来事を辿るのは、今ここで今を感じてるのとまったく同じようには過去をとらえられないように、突き付けられながらそれでもなぞって飲み込んでいるのかもしれなかった。

それで短編小説のこと。
私は去年を通して長編と同じぐらい短編のことが好きになってしまった。
ひとつの物語が終われば主人公も変わってしまうけれど、立っている場所も変わってしまうけれど全編に共通しているのは瞬間を切り取る緊張感のようなものだと思った。

だから調子が良くないときはまったく頭に入ってこないこともあり、慌てて戻ったりするのだけれど、一行で誰かがいなくなったり、出会ってしまったりすることは物凄く日常に近いなあと思った。

日常では起こった出来事に対して待ってくれとはいえないから、もう気付いたときにはそうでなかった人生はなくなってしまっているからそのたびに驚いてしまう。
感情の何もかもが言葉に置き換わるわけではないし、説明なんてできないし立ち竦んでしまうだけで、処理できないまんまそれでも目線は今に合わせなくてはならず、慌てて本を開いたら言葉たちがあった。

正解を求めているわけでもなくただあって、ぴんと張り詰めていてある意味では怖くもあったけれど、
きちんと人々がいて、過去に書かれた物語のなかで登場人物たちが今を生きていることにくらっとなってしまった。

今年も長編・短編にかかわらずゆっくりとたくさんの物語が読みたいです。
どうぞよろしくお願い致します。