*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「『ファミリー・ライフ』と『小説のように』」
2019.01.26
クレスト・ブックスを二冊読んだ。
一冊目は「ファミリー・ライフ」。
この小説のなかにはとても長い時間があった。
作者の自伝的小説なのだそうで、あとがきにも、書き終えるまでに苦悩したというようなことが書かれてあったが、主人公の幼少期から始まるこの小説には、一言では表すことのできない、あらゆる景色をくぐり抜けてきたからこそ詰め込まれた感情がたくさんあった。
父親の提案で、インドからアメリカに移住することになった家族。
移住する直前には、友人たちから羨望の眼差しを向けられ、アメリカには何でもあるのだろうと言われた。期待を胸に移り住んだアメリカ。疎外感を感じることも多かった。どうしてここにいるのだろうとも思った。
いっぽう、一家にとって宝物のようだった兄。どこに居てもすぐ溶け込んで、頭が良くて洒落ている。それでいて嫌味っぽくもない兄は、“僕” にとって眩しかった。両親の視線が兄にばかり注がれていると感じることもあった。
兄が高校受験に受かり、家族に喜びがあふれていた頃、突然事故は起こった。プールの底に頭を打ち付けて負傷したのは兄だった。一瞬の出来事。どうして。どうして。
寝たきりになった兄。残された家族に暗い影がおちる。家計も苦しくなり、言い争いばかりするようになった両親。
それでも、日々は続いていく。様々な葛藤に苦しみながら、外の世界と関わっていく僕。兄の意識は戻らず、時計は止まったままで常に罪悪感が襲うけれど、夜に兄を挟んでカードゲームをしたり、祈ったり祈られたり色々がぐちゃぐちゃになりながらもそれでも、どうしようもなく時間は過ぎて行った。罵り合い、絶望し合いながら、一人ひとりがそれぞれの形で兄を愛していた。
印象的だったのは、彼が書くことに救われていたということ。移住してきてから図書館に行き、無料で本を読めることに驚いた彼は、後に書くようにもなる。
私自身も読むこと・書くことにこれまでたくさん救われてきた。現実は悲惨なことも多いし、嘆いても過去は変えられないけれど、だからこそ、読んで書いて、作者が心の内で計り知れない多くの時間を過ごしてきたことを思った。
苦しくてやりきれなくて、でも私はこの小説を読めて良かった。力をもらっていた。
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二冊目は、アリス・マンロー「小説のように」。
読みながら改めて、人生とは進むだけなのだなあと、あっ、と声に出したときにはもう机のうえのコップは床で音を立てて割れているように、物事が起きてしまった以上、二度とその前には戻れないことを思った。
夫が起こしてしまった事件。穴に落ちていった息子の、その後の人生。波にさらわれたプールでの秘密。森の中で足を滑らせた男と、その妻との関係性の変化。
どの出来事も起きてしまった以上そうでない人生には戻れない。
一瞬にして劇的な変化をもたらすわけではなくとも、生活の隙間に、心の奥にじわじわと侵食していくから、過去を回想し、現状に慄きながらも生きていくしかない彼・彼女らのことを思った。
もしもあの時、という問いは残酷にも意味をもたなくて、綺麗なものもそうでないものもずるずるひっさげて歩いて行く。
アリス・マンローを読んだのは初めてだったのだが、言葉にならなかった一人ひとりの、けれど確かに存在する思いが読めて、また更に、短編を読む喜びというのを味わったように思う。
とにかく無駄な言葉がないので、余裕がないときにはのみこむことができず、読了するのに時間がかかったが、今日は言葉と向き合いたいというような日に、静かな部屋で「小説のように」を味わうのはほんとうに贅沢なひと時だった。
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私は、昔から本を読むことは好きだったが、余裕がなく、何年も読めずにいた期間もある。十代後半から二十代前半なんかは特に、あらゆる面で、本を手に取るゆとりは無くて。
海外の小説を読むようになったのは数年前、クレスト・ブックスの存在すら知らなかった。
なんてことを、別に大袈裟に書きたいわけでは全くなくて、何が言いたいかというと、私は、もちろんあくまでも個人的な話だけど、今こうして本が読めていてほんとうに嬉しい。
読んで、書いたり、考えたりしながら、なんていうか頑張って行こうと思う。思った。
小説よいつもありがとう。
ありがとう!