yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

シャーウッド・アンダーソン「ワインズバーグ・オハイオ」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「ワインズバーグ、オハイオを読んで」

2019.01.21

 


十代の頃から海外ドラマが好きで、よく見ていた。

それで、定番のSATCなんかを何周も見ながら、ひゃあ~なんちゅう洒落た世界なんや~アメリカってのは凄いなあ、海外ってのはきらきらしてんなあ~、などと思っていた。

今も変わらずSATCは好きだけど、見たいものしか見ていなかったせいで、道行く人々は皆ハイタッチし出す勢いで陽気なのだろうと思っていたし、想像するのは眠らない都会の景色ばかりだった。

でも、当たり前なんだけどそうでない場所というのはあって。

もっと言うと、NYに住んでいようがフラッシュモブを敬遠する人はいるし、人と話すよりもガーデニングを好む人もいれば、傷を抱えて動けなくなっている人、仕事では多弁、でも家では無口な父親などもうあらゆる人々が暮らしている。

更に掘り下げると仕事では多弁、でも家では無口な父親の中には絡まり合った感情があって、ほんとうは家族の前で思いきりコントを披露したいのかもしれず、働いているときの多弁は “こうあらねば” という使命感に忠実になるあまり、もうなにがなんだかよく分からなくなっているのかもしれず、そのようなことをほんとうの意味で実感できるようになったのは、小説のおかげだ。

 

読みながら、私はこの物語がとおい昔に書かれたのもとおい場所で書かれたのも信じられなかった。

なぜなら、どの登場人物も近しかったから。みんなとても孤独だった。ここではないどこかを夢見ていて、変わらない日常に押しつぶされそうになっている人や、もっと大きな夢を掴めると信じている人、性に対する衝動に怯えている人過去から逃げてひっそりと暮らしている人……

ああ海外ってなんだ、日本ってなんなんだ、そんなのは単なる言葉ではないか。

もちろん文化や気候やめぐる季節の違いというのはあるけれど、存在しているのはいつだって個人なんだということがすとんと入ってくる物語で。

だから、私はここで「海外文学三年生」というのを書いてはいるけれど、知りたいのはやっぱり一人ひとりが何を思って、行動の裏にどんな複雑なものを抱えているかなんだと思った。

この架空の田舎町にも様々な感情を持った人々の声が息づいている。あっと驚くような仕掛けとか、爽やかな結末が待っているわけではないけれど、小説っていいなあ、ここは覗こうとする人にだけ開かれたとても寂しい、でもやるせなさを知っている人には心強い場所であるのだと思った。