yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ゲーテ「若きウェルテルの悩み」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「とおいむかしに書かれたものであっても」

2019.11.20

 


文章を目で追っているとふしぎなきもちになる。
特に、とおいむかしに書かれたのを読んでいるとき。
どうして、これほど、「いま、現在、ここ」のきもちとして読めるんだろう。
まるで環境も違うのに、国も違っているのにずどんと直球で刺さってきて。

 

「若きウェルテルの悩み」を読んだ。
何気なく手にとった1冊だったけど、主人公ウェルテルの純粋さ、切実さが真に迫ってきて最後までくるしかった、というのは、共感もしたからこそ。

ウェルテルは、ロッテという女性に恋をする。
じぶんのきもちに気付いてしまったあとは、もうなかったことにはできないウェルテル。
わたしは恋というよりは、ウェルテルの妥協できない心が、言い換えれば不器用さがくるしかったのだとおもう。
でも、ウェルテルは嘘をつけなかったのだ。ほかの誰でもないじぶん自身に対して。

多くの人々は、とちゅうで折り合いをつけていく。それはある意味では仕方がないことなのだともおもう。だって、そうでないと生きていけないから。

とちゅう、ウェルテルのやさしさがものすごく伝わってくるシーンがあって、それはもう、ほんとうにどうにもならず、自ら命を絶ってしまった人々に対する思い。
許されることではない、というロッテの婚約者アルベルトに対し、ウェルテルはまるで話が噛み合わないにもかかわらず、言い続ける、もう、そんなんではないのだと、いろんな経緯があって、きもちがあるのだと。
どうにもならなくて、死を近くに感じたことがあるひとには、ウェルテルのやさしさが刺さってくるのではないかな。許されないとか、そんな議論にさえならない時というのはある。そして、議論できるのはその場にはいない、ということでもあるのだから。

「若きウェルテルの悩み」は、ひとりの人間をひたむきにおもった、恋愛小説ではあるけれど、恋、とはまた違うが(もちろん恋だって『ひとつ』ではないが)、“ おもう ” ことに夢中になって、身動きできなくなった過去と重ねてしまい、重複してしまうが「いま、現在、ここ」のきもちとして読めたことがうれしかった。

結末は辛いが、作者はそれを肯定しているのでは決してないとおもう、むしろ、ウェルテルのように穴に入り込んでしまったとき、誰に打ち明けるよりも身近な友として、作品を書き残してくれたのだとおもった、事実、わたし自身にも心強い1冊になった、まったく、過去にふりかぶってぶん投げたいきもちであるが、どうかどうか、いっしょに暮らしたみんなが、ウェルテルのように真っ直ぐだったあの子が、みんなが、きょうも健やかでありますように。