yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ドストエフスキー「貧しき人々」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「本と共に生きる」

2019.11.24

 


「貧しき人々」を読んだ。

この作品は、最後まで手紙のやりとりで紡がれている。
9等官(14等官まであるうちの、9等官は高くない位置にあるらしい)の役人マカールと、まだうら若いワーレンカとの文通。

題のとおりふたりの暮らしは、裕福とはほど遠い。なんならマカールさん(と、ワーレンカは手紙でよぶ)はワーレンカへのおもいが強過ぎるあまりむりをして、生活をより切り詰めていくので、着ているものもみすぼらしくなっていって、とくに靴はもう使えないほどになる。

この、衣服に対するくだりは結構つづく。なんどもマカールさんが問うのが印象的だった、しょせん「着るもの」じゃないか、なんだってこんなものに苦しめられなければならないんだと。でも、やっぱり周りの目というのはあって、それによってマカールさんがしんどいおもいをする場面では悔しいきもちが痛いほど伝わってきてくるしかった。

ワルワーラ(ワーレンカ)のほうも、からだは強くないので、縫い物の仕事をしているものの、余裕はない。信頼できる身内もおらず、ちかくに住んでいるふたりはとにかく文通を続ける日々。

お互いに、相手へのおもいだけでなく日々生活におこったことも細かに書いていく。それによってふたりの周囲の貧しき人々らも描かれるので、そちらも読んでいて印象にのこる場面がたくさんあった。

それで今回いちばんおもしろかったのは、というか励まされたのはふたりが本を読むことで成長していったこと。

本を貸し合ったり、感想を言い合ったりする。
ワルワーラのほうは、ある日、まだちいさなころ、ポクロフスキーという下宿人の家庭教師に認めてもらいたくて本棚から1冊を抜き取ろうとするのだった、けれどもうまくいかなくて、ほかの本までわらわら飛び出してきてしまう、なにをやっとるのや、と、叱られる。

その後、誤解はとけるけれど、そんな場面から始まってけれども1冊、また1冊と心にのみこんでいったワルワーラと、いっぽうで入り込みすぎてなんやこの本は、じぶんのことが書かれてあるぞ、けしからん、プライバシーの侵害や! なんて憤るマカールさん、可愛いかよ。

そんなマカールさんのほうも、本に出会ったことで前半と後半とで徐々に変化していく文体、時には「なんだってあんな本がすきなのですか?マカールさん?」とかワルワーラに貶されながらも(笑)、それでも終盤のほうではどうです? 文体もよくなったでしょう、なんてうれしそうで、なにより変化していく心が読んでいて心強くて、さいご、あっ、というまにそれこそ文字通り、ぶつんと「その後」が気になる終わり方になっているのだけれども、わたし自身もふたりのように読んだり書いたりしながら1年後にはまた違っているじぶんでいたいなあ。「貧しき人々」の「貧しき」は生活していく面ではほんとうにくるしいのだけれども、そのなかでもお互いの存在をたいせつにおもいながらなんとか前を向いて生きるふたりの姿が数日間ずっと頭のなかにあった。