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「一生をかけて物語を愛した人」
2017.02.11
朝ドラが好きで、とりわけ「花子とアン」は気に入って見ていた。
まずしい家で育った主人公が勉学にはげみ、一生を物語にささげるストーリーは、本好きの自分にはたいへんおもしろかった。
ドラマを見るまで村岡花子さんのことは知らなかっけど、小さいころ「赤毛のアン」を読んだのもあり放送中は朝がたのしみだった。
河出書房新社から出版されている本書は、生前書かれたエッセイがまとめられている。
巻末に書かれているとおり、現代かな遣いに直すなどの配慮は読みやすかった。
「花子とアン」といえば、吉高由里子さん演じる主人公(ドラマでは安東はな)と、仲間由紀恵さん演じる柳原燁子(ドラマでは葉山蓮子、のちの柳原白蓮)との友情関係も見どころだった。
無垢な主人公と対照に、うつくしい容姿の影でどこか闇をかかえている燁子。
一見相容れなさそうなふたりが「腹心の友」になっていくのだからおもしろい。
本書のなかの「心なくして手を」というエッセイでは、そんな腹心の友と絶交をしたおもいでについても書かれている。
友を想うからこそ「愛のない相手のもとへ行ってほしくない」とねがう花子だが、いっぽう燁子のほうもまた、家庭の事情もあり受けいれるしかなかった。
ふたりの当時を想像すると、未来への期待と思うようにすすまない現実との狭間で苦しかっただろうなあと思う。
最終的に愛を選ぶ燁子であるが、恋愛結婚が当たりまえであるいまを知ったら——いったいなにを思うだろうか。
ほかにも本書では、ミス・ブラックモア先生をはじめ——東洋英和女学院でお世話になったカナダ人教師への感謝がつづられている。
その文面を読んでつくづく感じるのは、学ぶことが好きだったのだなあ、そしてそのように人生を通し学びつづけた言葉はうつくしかった。
とりわけ好きなところは後半の「生きるということ――成人の日に」。
晴れておとなになる新成人にむけて書かれた文章では、翻訳を手がけたことで有名な「赤毛のアン」のことばが紹介される。
努力がみのって大学へすすむはずだったアンが家族の不幸に見まわれて、しかしそれでも前へむく決心をしたときにマリラへ言ったもの。
最愛の息子をおさないうちに亡くし、また震災によって大きな被害をうけるなど数々の「曲り角」を経験してきたからこそ、アンのひたむきなことばたちを愛し、また励まされてきたのだろう。
じぶんのことだけを考えるのでなく、どんなときも愛をもって人と接すること。
やさしく語りかけるようなことばが沁みわたり、あらためて人生は毎日の積み重ねだなあと、そんなことを思った。
あとがきに娘、村岡みどりさんのことばが掲載されている。
戦争のなか、あかりのないところで「赤毛のアン」は訳されていたと。
空襲のなか、原稿をかかえ逃げるシーンが浮かんだ。