yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジェイン・オースティン「説得」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「作者に観察されたなら自分も喜劇的人物」

2020.03.29

 


ずいぶん前に「分別と多感」を読んだのが最初で、それから最近になって「ノーサンガー・アビー」と「自負と偏見」を読んでから今度は「説得」を読んだ。

最近読んでいた主人公たちは空想好きでおちゃめだったり、知性的でしっかりとした考えを持ち、快活だったりしたから、「説得」のアンの、物静かで、知性的でありながら、まわりの人たちをいつも観察している様子が新鮮だった。
かわりに「ノーサンガー・アビー」や「自負と偏見」を読んだ時のような思わず吹き出してしまう感じは少なくて寂しかったけれど、とつぜん「ひ、ひどい(笑)」というような一文が出てくるので、例えば「説得」では主人公アンの父さんがこれまたどうしようもないやつで、一言でいえばナルシストで、自分の地位や容姿が何よりの誇り、自慢、存在価値、「准男爵名鑑」が唯一の愛読書で自分について書かれているのを何度も見て、ご満悦、おまけに書き足すなどして、これだけでも笑ってしまうのだけれど、その亡き妻であるエリオット夫人についても「ひ。ひどい言われようやな」で笑えてくる。なんで笑えてくるのやろうと考えると、オースティンの物語に出てくるどうしようもない人物らというのは、誰かに対して攻撃的とかいうよりも、己の可愛さあまって、感傷的過ぎたり、大袈裟だったり、ナルシストだったり、つまり誰にでもこういう所少なからずあるよなあとか、こういう人居るよなあとか、こういう時期あったよなあとか今もあるよなあとか、なんだか自分もお空から作者に見られているような気になってきて、もしも徹底的に書かれたならば、きっともうとんでもないことになるだろう、ははは、だからこんな自分でもまあぼちぼちやるかとか、そこまで感傷的になることもなかったかなとか、殻にこもってるだけでなく、堂々とやっていけば良いのだとか、みんなを見ながら色々と考えてしまうのだった。
オースティンの作品は結婚に至るまでのそれぞれの気持ちだったり変化だったり、恋愛や結婚について書かれているから手に取るというよりは、誰がどんな人間でどんな過去をもっていて誰が誰のどんな言葉で気付いたりそれでもまるで気付かなかったりするかだとか、そういうのが読んでいてたのしいのだった。
にしても家柄とか地位とか持参金とか大変そうやのお。そういうのとは無縁で良かった、物語の中だけでいいや、ともつくづく思うのだった(笑)。
あと兄とか従兄弟とか親友とか「サー」とか大佐とか多すぎて似た名前も続々と出てくるけれど、このちくま文庫から出ているのは最初に人物紹介もあって読みやすいし、それから昔「ダウントン・アビー」にハマりまくったことが役に立ったなあとも思うのでした(笑)。