yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ポール・セロー「ワールズ・エンド(世界の果て)」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「ここではないどこか」

2019.02.04

 


引っ越しというのは奇妙なものだなと思う。
住む場所が変われば景色も変わり、つまり環境も変わるのだけど、いざ引っ越しを終えてみると、なんだか必要以上に多くのものを、自分が期待していたことに気付かされるのだ。

 

ポール・セロー「ワールズ・エンド(世界の果て)」を読んだ。

これまた風変わりな短編集に出会ったなあと思った。登場人物たちの多くは、異国の地を訪れているのだが、ある男は移住してきたことに対し、自分はより良い選択をしたと信じ込んでいたところ、どうも妻のほうはそうでなかったことに気付かされる。

またアフリカの地で尊大な態度を取っていた男は、ある “常識” を知らなかったことで全身が蛆虫だらけになったり、予想外の妊娠に戸惑った夫婦が逃避してきたプエルト・リコでの暮らしなど、読者は読みながら、“ここではないどこか” へと旅立って、匂いや気候を感じ、内面に入り込んで、共に戸惑ったり、虚しくなったりしてしまうのだ。

一番心に残ったのは、これに関しては見知らぬ土地を訪れる話ではないのだが、小説など書いたこともない男が、自分は作家の端くれだと名乗ったことにより、数々の作家と知り合い、パーティーなんかも開いて親密な関係を築いていく話。もちろん、書いていないので他の作家たちも、彼の作品など知る由もないのだが、皆一様に、多少の質問こそすれ濁されれば、それ以上追求することはないのである。誰一人とて作家のことなど知らなかったのに、ファンだと公言していく主人公の世渡り上手、といえば良いのか賢さといえば良いのか、はじめは単なる思い付きであったのかもしれないが、とにかく可笑しくて、そんな “自称作家” の家に喜んで訪れる作家たちの集まりも、想像すると哀しくて寂しくてやっぱり可笑しかった。

住む場所を変えたところで自分のなかの意識は、どこにも行かない。なのに一旦は、悩みや、やり切れなさや孤独から逃れられるような気がするのは何故なんだろう。

でも私には気持ちが分かった。まさに最近、異国とまではいかないけれど引っ越しをして、なんだか似たような気持ちになっていたからだ。というのをこれまでの引っ越しに置いて何度経験しただろう。はじめのうちは、目新しいものに囲まれて歓喜する。今まで通り、昨日が今日になっただけなのに、“新年” と聞くとまるで全てが、リセットされたかのような感覚に陥るように、“これから” を想像して興奮し、けれど、しばらくすると再び新たな場所を追い求めてしまう自分もまた、私自身が誰よりも知っているのだった。