yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

カール・セーガン「コンタクト」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「?の気持ち」

2019.08.25

 


登場人物たちと長く付き合えるという点で、海外ドラマがすきなのだけど、最近は映画をみるのもものすごくたのしくなってきた。

それでこの間みたのが
すきな作家さんがおすすめしていた「コンタクト」。
つい数日前まで、再読した「あしながおじさん」のジェルーシャ・アボットに胸ときめかせていたのだけど、ヒョイとまたジャンプして、それで「コンタクト」のエリナ・アロウェイかっこええ、頭ぽーなんてことになってしまっていた。

何といってもすごいのは探究心で、
とはいえ当のエリナからすればそれは当然のことかもしれないのだけど、ちいさい頃から空を見上げては星を指してはエリナは「?」の気持ちを忘れなかった。

というのは、あるいは子どもにはよくあることなのかもしれないが、大人になっても気持ちを手放さなかったエリナ、とにかく映画には冒険がつまっていてわたしは一緒に宇宙への旅をたのしんでいたのでした――分からん、知りたいの気持ちを忘れちゃいかんなあ、それこそ想像することだけは誰に邪魔されることもないのやから、と。

からの、今度は原作も読みたくなって。
あいにく本屋にはなかったので図書館の書庫から出してもらい、受験テスト、名前書いてくれたらOKやで。みたいな学校に行っていたので(合否発表で狂喜、号泣してたら全員受かってた)たとえばSETI(地球外知的生物の探索)などの用語をみてもSATCキャリー・ブラッドショーちらちら浮かんで離れない、という具合だったのだけどでもお話として面白かったから(分からないなりに)夢中で読んだ。

 

映画とは違っているところもあり、
特にわたしが小説で面白かったのは宇宙へ行く場面はもちろんだけどエリナ(科学者)とパーマー・ジョス(キリスト教根本主義派の重鎮――人物表より)との対話だった。

一人ひとり、生きてきた中で信念をもって通ってきたものがある。
それは宗教や科学や各々違ってはいても根底には、やっぱり「?」の気持ちがあったからこそ、育まれてきた大切なもの、景色、思いであるのだと思った。

そう思ったら自分の視野の小ささが「小ささ」なのにおかしいけれどふくらんでくるようで、ヴェガからメッセージがきたとなればつくられるいくつもの物語、それぞれがそれぞれの角度からひとつのものをみて、だからこそ第一にプルーフ、「証拠」を重んじてきたエリナがただ「みた」経験というのには心打たれたなあ。
時々、卑屈になって視野の狭さが限界になって恥ずかしくもすべてを悟ったかのような、もういいやなんて諦めの気持ちが体中を占めるけど、でもやっぱりどれだけ疑問を持ったって考えたって良いのだから「?」の気持ちは自由だ、と思って改めて、エリナがみてきたもの、
原作ではエリナ含めみんながみてきたものをわたしは信じたいし信じているのだった。