yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジーン・ウェブスター「あしながおじさん」再読

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「ジュディかわいいジュディさいこう」

2019.08.09

 

 

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こっ恥ずかしい思い出がある。
いくつの頃だったか――中学生ぐらいだったか――「あしながおじさん」を読んで、なんてすてきな本なんだろうとおもって影響されて、されすぎて当時からまいにち日記を書いていたのだったが、その日記にくわえてだいすきだった先生にてがみを書き始めたのだ、それも大学ノートに、十八歳になるまでのあいだずっと(!)。

 

記憶をほじくり出していると全速力で逃げ出してしまいたいほど照れるのだが、文末にはジェルーシャ・アボットならぬユリーシャ・アボット(わたしのしたのなまえ)と署名まで入れていた。ぎゃっ!

先生にはてがみを書いていることをひみつにしていた。ちなみに先生というのはわたしの家で働いていた先生のこと。

ちいさい頃から単純で、影響されやすかったわたしは、ドラマをみれば号泣して将来の夢を変え、本を読んではヘレン・ケラーって苦労しすぎやんでもすんばらしいなあ頬杖ついてため息、なんてのを繰り返していた。なんていうか、「激動の人生」をおくったひとにウットリしていたのだ。そういえば目をつむりながら小学校から帰ったこともあったなあ……ってこれじゃまるできのう読んだばかりの「ハックルベリー・フィンの冒けん」に出てくるトムではないか。ほかにも骨折して松葉杖で帰ってきた男の子にあこがれたこともあったし、不謹慎ですみませんでもそんな子どもだったので、たとえば西加奈子さんの「サラバ」に出てくる姉貴子や「円卓」のこっこちゃんの気持ちが笑える&ヒリヒリとよく分かるのでした。

 

で、そんな思い出のある「あしながおじさん」を読み返した。
ずっともういちど読みたかったんだけど、なんせこっ恥ずかしい思い出が強制的に全速力で追いかけてくるもんで。

と思っていたらそんな心配この夏の扇風機とともに飛んでいってしまった。とにかくジュディかわいいジュディさいこう、なんちゅうおちゃめでやわらかな心で世界をみているんだろう。

というわけで秒で再びのジュディファンになってしまった。懐かしくてなつかしくてたまらなかった。
ああ大学ノート何冊分も、卒園とともにむりやり押しつけてごめんよ先生。なんといろんな意味で重たいプレゼントやったのやろう。
でも喜んでくれたのも思い出せた。ありがとうって、今でも読み返すよって言ってもらえたなあ、あんまり良い思い出まで悪く捉え直してしまうこともないのかもしれない、というのもジュディのこころから学んだこと。

とにかくてがみのセンスがありすぎるのだジュディ(そりゃあしながおじさんもたまらん)いくら展開がきれいにまとまりすぎていたってこの物語の魅力は、ジュディのユーモア強さやさしさに尽きるのだと思う。というわけでおとなになっても単純なわたしはさっそくシミルボンのわたしを構成する十冊をかえてしまったよ、まったく十冊ではおさまりきらないよだいすきな本がいっぱいだよやれやれ。

加えてわたしは思い出したのだった。
激動の人生ウットリ、松葉杖かっこえーと思っていたわたしにも色々あったけど、その渦中にいる間は松葉杖かっこえーどころではなかったけどでも、悲観するだけでなく、ジュディのように跳ね除ける力も少なくともあったのだな、と。

だから、きっと日記も当時のじぶんには必要だったのだ。読んだり書いたり、時にはみんなの物真似をしたり手作りで新聞を発行したり、歌って踊ってじぶんを支えてきたのは繰り返しになるけれど辛いことしんどいことあるなかでもたのしめる力でもあったのだ、というのをジュディが思い出させてくれたのだった。まったくジュディありがとうと言いたい。じぶんのことなのに過大評価しちゃって〜なんてのは今だけは思わないでおく。時々は必要なのだ。じぶんでじぶんの良さに気付いてあげるのも、ふだん過去ばかりみているからこそ時々、は。

影響されやすい単純夢見がちな十代をおくるユリーシャ・アボットさま。相変わらず影響されやすい単純夢見がちな大人進行中ヌマタハナーシャ・アボットより