yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「あかりの湖畔」青山七恵

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「心の声に耳を澄ませる」

2019.08.12

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人と人は会って自分の内側にあるものを、音にして言葉にして交わし合う。
今思っていること、思っていたこと聞いてみたいこと、聞いてみたかったこと……。

でもきっと、というか確実に一人ひとり、話さない時間のほうが長いから、言葉にできなかったこととか、そもそも言葉にもならない思いとか今後も言うつもりのない塊のようなものと共に過ごすことになる。閉じられた自分との対話。

当然、わたしにもその塊はある。無理に言葉に置き換えようとしたら、一瞬にして似ているけれどまったく別の物になりそうな何か。なんて風に、自分の塊でさえうまく受け入れられないことが大半なのに、誰かの内側にあるものなんて計り知れない。言葉の裏や、行動の裏には何があるんだろう? あるいはないんだろう?
簡単には決めつけられないことばかりだ。でも、だからこそ知りたい、という気持ちがあるのも嘘じゃない。

小説に対する気持ちも同様に一言では言えないけれど。
ひとつ挙げるとしたら、わたしでない誰かのなかに潜り込むことができる、というのがある。
たとえフィクションであっても大切な時間。おもてには出てこなかった言葉を「言葉で」表しているのだから凄い。未だに何度も、そのことについて言葉を追いかけながら驚いてしまう。

「あかりの湖畔」を読んだ。

繊細で細やかな表現があちこちに散らばっていて、読み進めるのが惜しい。

行ったことも、見たこともない場所なのに、こんなふうに丁寧に一秒のきらめきだって逃さないように紡がれるから、物語の三姉妹の様子にも、じっと目を凝らしたくなる。
湖畔の近くに住む三姉妹。

長女の灯子が抱えてきたもの。自己表現が苦手で、いくつもの思いを言葉にする前にのみ込んできた灯子の静かな心の動きに目を、耳を傾ければ内側には何色もの混じり合った後悔や戸惑いや不安があったことに気付く。決して「ない」ものでないのを知る。

わたしには彼女は素直な人にみえた。
しっかりと、自分の中で確実に、これだと思えるまでは言葉を放ちたくないようにみえたから。
まだ分からないものを枠に閉じ込めたら嘘になってしまうから、大切に今はまだ、留めておきたいようにみえたから――というのはとても、周囲には不確かに映っても、意思がないようにみえても奥まで覗いてみれば誠実であることのようにもみえた。

同じように、次女も三女も、視点を変えればそれぞれの見てきたものがある。
変わってゆくもの・いつまで経っても変わらないものを乗せながら、それでも時は確実に経過して、これから三姉妹はどんな景色を見るだろうか、なにを言ったり、言わなかったりするのだろうか。
きらきら光る湖のある三姉妹が育った場所を、わたしも過去や今や未来をごちゃ混ぜにしながら色んなことを考えながら――物語だとは分かっていても――ゆっくりと歩いてみたくなった。