yuriのblog

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「めいちゃん」--読書サイト シミルボン「カラダの欲望、 ワタシの本音」コンクール応募作品 引用作品 イアン・マキューアン「初夜」 

 

以下の文章は「カラダの欲望、 ワタシの本音 コラム募集」というコンクール(読書サイト シミルボン)にて応募し、賞を頂いたものになります。サイトが閉鎖されるので、こちらに移しております。

 

2019.08.15

 

「めいちゃん」

 

めいちゃん(仮名)とわたしは同い年で、同じ学校に通い、同じ施設で育った。

わたしはめいちゃんが興味深かった。
面長の顔まわりには綿菓子のようにもわもわとした髪がひろがり、音量調節という概念がなく、いつだって大声で笑った。
ドラマが好きで、お気に入りの俳優が見つかると擦り切れるまでビデオを再生した。小遣いを貯め、漫画を買うのを心待ちにしており、それまでは手元にあるのをカバーが脆くなるまで読んでいた。
漏れるどころか、館内に響き渡っていた笑い声と突っ込み。その結果、うるさいと言われても目を輝かせながら、ほんとうにおもしろいのこれと関西人なのに標準語でこたえていた。

施設初の試みとしてひとり部屋が与えられたのは高二のころ。シスターたちの居住空間だった場所を、高学年のわたしたちが使えることになったのだ。
移動をきっかけにぐっと縮まることになっためいちゃんとの距離。
そのころのわたしはというと、限られた職員を除いて園では会話をしていなかった。という期間が三年目に入っていた。
なので当然ひとり部屋はうれしかった。
生活する以上、どうしたって顔を合わせる機会はあったけど、食事や風呂の時間帯をずらせば一息つけるようにはなったので、シスターたちよ今までありがとう、でも永遠にさようならという晴れやか極まりない気分だったのである。
だがしかし。
ただひとり、めいちゃんだけは避けられなかった。
それまでは興味深いで完結していた関係性が、直接生活に影響するようになったことで、話しかけんなオーラなど通用しないめいちゃんから「ねえねえ小栗旬ってかっこいい花男っておもしろいし小栗旬花男小栗旬」攻撃を絶えずくらうことになって。
ほかにもエンドレス小栗旬に加え1小虫発見毎の絶叫や終わりのない質問、ずばりたまらんとはこのことだった。めい。うるさい。マジで。と何度言ったかわからなかった。
それでも笑っていためいちゃん。わたしはなぜめいちゃんはこれほどにめげず人を信じられるのだろうとか汚れなく対象が何であっても対峙できるのだろうとかふしぎに思っていた。じぶんの卑屈さが浮き彫りになるようで恐れさえあった。
それでも、都合は良いがときおりそんなめいちゃんの人懐こさに吸い込まれて夕飯を食べながら談笑することもあった。なぜか、めいちゃんとなら楽に居られたのだった。
少人数制クラスで学んでいて、帰りの早かっためいちゃん。
欠かさず、炊飯スイッチを押してくれていた。
味噌汁や食パンを切らさないようにしてくれていた。
そんなめいちゃんがめいちゃん自身のからだにもすなおになっていたところを、からだの声に忠実になっていたところを偶然風呂場でみられたのだった。
食堂の真横だった自室にはそれでなくともあらゆる噂が流れ込んできたけれど、わたしにはくすりとも笑えなかった。
小学校高学年のころ、同室の子のクローゼットでそういった類の漫画をみつけてからは心が離脱したようにそのことしか考えられなかったし、勉強机がならべられた区画には仕切りもなにもなかったけど、まるで風邪の引き始めのようにぼうっとしている頭を、足下から一気に上がってくる熱をどうすれば良いのかわからなかった。夜間、ひとりで入浴した際にはこの間まで棒きれでしかなかったからだを、にもかかわらず丸みをおびてきたからだを発毛してきた箇所を恐れ、けれど思いとは裏腹に手はどこまでも伸びていくのだった。
もしかするとじぶんは病気ではないか。
みんなはどうしているのだろう。
何ひとつ疑問は解決しないままけれど時間だけは過ぎていきそして高校生になってから耳にしためいちゃんのこと。
今なら、そんなのどうってことない、むしろ健やかである証拠だと思える。
とはいえあのころは大勢で暮らしていたにもかかわらずそれがありふれていることとは露ほども知らなかった。
あまりにも話さなかったわたしと、話しすぎていためいちゃん。わたしたちの間にあったのは精々おはようとかうるさいとかとにかくちぐはぐな会話と、なによりこちらが不安になるほどのめいちゃんの笑顔だけだったので、気にすることないでめいちゃん、というたったそれだけの一言がじぶんにも切実だったからこそ絶対にぜったいに言えなかったのである。
退所が迫り、大人たちのまえで手紙を読まされる会があり、音量調節を知らなかっためいちゃんが一言も発せずぶるぶるふるえていたときには驚いた。その横で先生ら泣かしたるわと下心丸出しで書いた手紙を持っていた己の小ささ。
代読しながら、めいちゃんの笑顔の奥に押し込められていたものを思うとやるせなかった。
同い年で、同じ学校に通い同じ園で暮らした。
もちろん、からだの成長にスピード差はあったけど、同時にうろたえた期間があったこと……そういえば、わたしもめいちゃんもはじめは生理用品をうまくつかえなかったなあ、徐々に慣れていったわたしと裏返しに貼っていたのを注意されていためいちゃん。
でも、わたしよりも多くのことを知っていたね。ひとを信じ、慈しむこと。めいちゃんは強い人だった。なのになにもみえていなかった。笑顔しか、みようとしていなかった。

 

以下、イアン・マキューアン「初夜」より引用

 

“体は、ときには屈辱的なほど、感情を隠そうとしない。あるいは、隠すことができない。礼儀にもとるからといって、心臓の鼓動を鎮めたり、赤面するのを抑えたりできる人がいるだろうか?”

 

 

 

 


というのはイアン・マキューアン 著「初夜」の一文、お題をみて真っ先に連想した作品だった。

 



 

エドワードとフローレンス。
1962年の英国に暮らしているふたり。伸びのびと性について語られるようになるのはもう少しあとのことで、婚姻まで慎重に距離を縮め合ったふたりの初夜、まだなにも知らなかった、切なくて残酷でけれど、どうしようもなく美しくて……。

物語と思い出を結びつけるのは時代も、状況も何もかも異なっているのだから馬鹿げているとは思う。エドワードとフローレンスの間にあったものとわたしたちのそれではまるで違うのだから。
それでも、今回のお題から連想した「初夜」を読み返していると、内側にある本音と戸惑いとの間で揺れていたふたりの姿に思わず振り返ってしまうものがあるのだった。

めいちゃんとは卒園以来一度も会っていないし、今後も会うことはないだろう。
けれどふと、あのころ起こっていたからだの変化について、滑稽だったわたしたちについて恐怖について話せたらなあと思うときがある。難しい話は抜きにして笑い合いたい。
なんの話してるの?と笑われる気がする。
またドラマの話が始まる気がするそれでも。
たまらんかったなあなんて言い合いながら話してみたい気持ちが、ほんの少しだけ、今もまだここにあるのだった。