*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「本が好きなので」
2018.06.12
少しだけ本から離れていました。あくまでも自分の中では、ということですが。わたしは極端なところがあるので、貪るように読んでしまう時期もあれば、そんな自分に疲れてしまう時もあって、ただ勝手に手にしたりしなかったりしているだけなのに、本との向き合い方がよく分からなくなってアワアワ、なんてことになっていました。
それで、というのも変なのですが、自分はどうして本が好きなのかなあと、ぼんやり考えていました。当たり前だけれど本を読まなくとも同じように時間は流れていくし、特に困ることもなければ劇的な変化が訪れるわけでもない。日常とは違うお話は大好きな海外ドラマでも見られるし(絶賛ダウントンアビーハマり中)、誤解を恐れずに言うと、極端な話本がなくたって日常生活に何一つ問題はないのでした。けれども。
なんだか寂しいのでした。なんだかとてもとても寂しいのでした。なにか大切な体の部品が一つ欠けているような、そんな気持ちになりました。そして、だからこそ本が読めない時期というのは、自分が少し疲れているのかもしれない、ということも思いました。辛くてうまくいかなくて、そういう時にこそ自分は本を必要としているのだと思っていましたが、うまく言えないのですがそれも、自分には少し違っていたようでした。
どうして本が好きなのかなあと思いました。全てに理由なんていらないけれども思いました。久しぶりに本を開いて、思い入れのある「初夜」を開きました。
クレストブックス特有の分厚い紙をめくって、わたしはくらっとした。紙の匂いと、綺麗な言葉の並びと、リズムと。全部が愛おしくて、印字された文字の集まりを見ながらちょっと泣きそうになりました。意味とか理由とかどうでもいいなあって、もちろんもともとそんなことなど考えずに読んでいたわけなのですが、思いました。わたしは本が好き。だからこそ救いを求めるのはやめようと、無意識に救いにばかり気が向いていたのかもしれないと反省しました。何事も、そんなつもりはなくともそうなってしまっていた、ということがあるように。
単に本を読むというだけのことに、反省だの向き合い方だの大袈裟だと思うのですが、わたしは本を好きでいたいので、もちろん正解などないけれど、好きでいられるような自分でありたいです。もちろん好きでいられるような自分、なんてものは実態のないものですが、勝手な自分の思いとして。
そういえば「初夜」が映画化されるということで、あの美しい世界がどのようになるのかと頭の中で想像してしまいます。映像は映像として、小説は小説としてしか成し得ない世界があるんだろうな。今は早く、けれどゆっくりとまた小説を読みたい気持ちでいっぱいです。