yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「気になる部分」著者: 岸本 佐知子 他

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「切実だからこそしみじみ可笑しい」

2018.12.14


興奮するとドヤな文章を書いてしまうことが多い。特に夜中は危険だ。昨夜は何かに取り憑かれていたに違いないと何度思ったか分からない。ネジが外れるどころか全身に突き刺さっている。物事が正常に判断できない。悲劇のヒロインに簡単に変貌する。でもそのことに気付くのは数時間後だ。夜型人間なので脱却できる見込みは訪れそうにない。

冷静とは無縁の危険なゾーンはまだまだある。本を読むのが好きなので読み終わった後の背表紙を閉じた瞬間。もちろんこの本を読むのは今ではなかったなあと思うときもある。でもその時の気持ちと体調と文体の雰囲気と好みと、諸々色々なものがかちんと合わさったとき、これは私の物語だ!と叫びたくなるようなとき。再び恍惚とした旅に出て帰還不能になるのである。飲酒はほとんど経験がないので、酔っ払うという感覚は知らないのだが、きっとそれに近いのではないかと思っている。素面でべろんべろんになる。

興奮そのままに作者にファンレターを送ったことも数回あるし(やばい読者だと思われただろう)、ここシミルボンにおいても、ほとんど絶叫でしかない文章を何度も書いてしまい読み返しながら心の役所にたびたび失踪届けを受理懇願したり、だから文章の上手い人が羨ましい。上手いというのは知識が豊富などというよりも(もちろんそれも羨ましいのだが)ねえ聞いてよ聞いてよ私のお話聞いてよ!のようにはなっていない、でも驚くほど吸い込まれて鷲掴みにされる文章のこと。

話は飛ぶけれども岸本佐知子さんの翻訳本を初めて手に取ったのはおそらくミランダ・ジュライの「あなたを選んでくれるもの」だったと思う。とても好きな作品だった。でも思いが暴発したのはもう少し後のことで、最近なのだけどリディア・デイヴィスの「ほとんど記憶のない女」を読んだとき。こんな小説は初めてだと思った。小説が先にくるのではなくてあくまでも作品に名前をつけるとしたら小説だったというような。心から本を抱きしめたくなった。つまり再びあのゾーン。体内からあらゆる物質がじんわりと登ってくるようだった。

とはいえまだ読めていない作品も多くあり、ゆっくりと堪能中である。それで話は戻るのだが羨ましいなあと思う(羨ましいなんて烏滸がましいけれど)文章のこと、笑い編。エッセイを出されていることを知り、翻訳されている作品が毎度クリーンヒットするので手に取ってみた。


 

笑った。笑ったし物哀しい気持ちにもなったし忙しかった。翻訳者さんだから私がいつも目にするのは印字された名前と紹介文だけだったので突然作者が輪郭を持って飛び出してきたみたいだった。

一つひとつが短いエッセイ。何度もツボにハマって大変だった。お風呂で読んでいて良かったと思った。その他私がツボにハマるのは町田康さん西村賢太さんさくらももこさん西加奈子さんなどの小説やエッセイ。抱腹絶倒と紹介されているとひねくれ者の私はまたまた〜などと思ってしまうことも多いのだが、これらの作者が書かれたものを読んでほんとうに私は文字通り笑い転げた。切実だからこそ可笑しくてたまらなくて部屋でひとり身悶えしていた。ときのことを今回も思い出し、子供の頃のエピソードは妙に切ない気持ちも襲ってきて(私もそうだったなあと思う所も思わない所も子供時代が一回限りで戻らない事実も!)、翻訳の仕事の話も興味深く読んだ。その他のエッセイも読んでみたいと思った。翻訳されている小説たちを開くのが楽しみである。