*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「小説に対するまなざし」
2016.11.08
作者の小説に出会ったのは中学生の頃でした。
覚えているのは読み終えたとき「なんだかどの作品とも違う」と思ったこと。
もちろん同じ作品なんてないのだから、当然なのですが、独特の世界観にハッとしたのを覚えています。
「職業としての小説家」を読み、
文学賞というものに対しどのように捉えられているか、世間がそればかりを気にしている一方、構わずまっすぐ小説と向き合う姿勢は尊敬でした。
小説を書くこと自体は誰にでもできることかもしれない、と語られていること。
スポーツ選手のように幼い頃から習う必要もなければ、画家のような技術も必要ない。
文章が書ければどんな仕上がりになるにせよ「小説」という形は完成されると。
しかし「書き続ける」のはとても難しい。
華々しいデビューをかざった作家でも、すぐ消えてしまったのを何度も目にしたとか。
作品が評価を受け、売り上げがダイレクトに仕事に影響する。
もう書くことはやめてしまおうか……と思うのも、きっと珍しくない。
しかしその中でどのように「書き続けてきたか」、綴られています。
例えばスケジュールですが、「必ず十枚きっかり書く」ことを徹底されているそうです。
今日は気分が乗らないな……という日も、自分を甘やかすことはないのだそう。
また一度書いた原稿は何度も修正を重ね、もう十分だと思うまでチェックを欠かさないのだとか。
それ以外にも、運動不足が気になることからランニングをはじめ、雨の日も風の日もどんな日も走り続けてきたというのは驚きました。
ほかにも、学校についてどう感じていたか、誰のために書くのか? など、読んで感じるのは、誰にどんなふうに受け止められようと「自分にできることをやる」ということ。
日本でいろいろな声がうるさく感じたことから海外に拠点を移したそうなのですが、その結果、今では世界で活躍されているのはすごいなあ、の一言に尽きます。
「こんなのは文学ではない」「翻訳のようだ」と言う人がいてもそれを「へぇ、そういうふうに見えるのか」と冷静に受け止め、「でも自分はこういうふうにしか書けない、それならただ自分の文章を書くしかない」と捉える。
それって決して誰にでもできることじゃないなぁと強く思います。
私なんかは人の声が気になって動けなくなってしまうタイプなので、ちょっと何か言われた時点でもう諦めてしまいます。
毎日机に向かい、いろいろな声が聞こえてきても、冷静に受け止め書き続ける姿勢はそれこそがまぶしいなあ、と。