yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

①「逆境に生きる子たち トラウマと回復の心理学」著者: メグ・ジェイ/ 北川知子 ②「アダルト・チルドレン」完全理解 一人ひとり楽にいこう著者: 信田 さよ子

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「とても勇気をもらった」

2020.10.13

たくさんの小説を読んで、たくさんの言葉に触れて、
で、結局自分はどうしたいのか、どう考えてるのか、自分の声を持たねば、と思うようになっていった。

だけど一方で、卑屈になっている自分もいた。
自分のことは、自分が分かっていれば良いや。
そうやって、ごまかして本当は寂しいのに、外に出ようとしなかった。人と関わるのが怖くなっていった。

内にひきこもることで体調も悪くなり、悪循環になり、そんな状態なのに自立を焦って、何回も面接に行っては体調悪化、つぶれるというのを繰り返していた。

そんな時に出会ったのがこの本だった。

 

「逆境に生きる子たち トラウマと回復の心理学」著者: メグ・ジェイ/ 北川知子

 

焦るのは良い加減やめようと思い、なにか体と向き合いながらも、出来る勉強がしたかった。それで、いま、自分が興味があることは何だろうと考えて、やっぱり子どものこと、福祉のことが学びたいと思った。それは、仕事にしようというよりかは、まずは心と向き合いたいというのがあった。そうすることで、進みたい。

先日はアダルト・チルドレンの本を読んだ。

 

 
 「アダルト・チルドレン」完全理解 一人ひとり楽にいこう著者: 信田 さよ子

 

すると、アダルト・チルドレンとはこうだ、と言われるのかと思っていたら、思いの外、生き辛さを感じている人の為の、肯定の言葉、それから、どのような人々がカウンセリングに訪れているかが書かれており、ホッとした。

そして今回読んだのは、「逆境に生きる子たち」という本だった。
この本を読んで、わたしもこんな過去があって、と書いたら不幸自慢と取られるのが怖かった。実際、「そんな人、世界中にいる」と言われたこともある。その人の言葉は確かに、正しい。みんな何かしら、少なからず抱えている。だけど、一方でアダルト・チルドレンの本を読み自分が言葉を経て安心したことで、「みんなしんどいのだから、世界中にいるのだから口をつぐまなければならない」というのはしんどいと思った。だって、わたし自身が「声」に救われているではないか。

この本では逆境を経験した子どもたちの、その後が書かれていた。セラピーに訪れた人たちは、とても勇敢で、普段は、周りからは問題を抱えているようには見えない。働いて、社会の中で必死に生きている。けれど、子どもの頃の経験は無くなったわけではなかった。だからこそ、セラピーに来て、話す。周りの印象とは裏腹に、自分に自信が持てなかったり、未来に不安を感じている。

逆境とは、当然、人により様々だ。
虐待、性的虐待、親の薬物、アルコール中毒、精神的な病、刑務所にいる、ネグレクト、はっきり見えるものから、そうでない場合も多い。そしてそうでない場合には、発見されにくいので、子どもは自分自身で対応していかなければならなくなる。例えば、言葉の暴力は外からは分かりにくい。本書でも、美しくないといけないと思い込ませる、片方の兄妹が亡くなったとき、お前であれば良かったと言われる。などなど。それからまた、家族の中の暴力でも、子どもたちの間の暴力は単なる喧嘩と捉えられることが多いそうだ。もちろん、そうであることも多いだろう。しかし、継続して行われたり明らかに度を越していたり、怯えて暮らすようになるのは大人になってもトラウマとなることがある。他にも、特別な支援を必要とする子どもが家族に居て、もう一人の子どもの見ていた世界など、また、家族のことだけでなく、コーチから教え子に対する抑圧など、本書では、様々な子ども時代が書かれるが、それらが比べられることはない。どちらの方が、なんてものは、ないからだ。だけど、本でも、「自分より、しんどい人はいるのだから、言ってはいけないのではないか」とずっと感じていた人がいた。

本書を読む中で特に感じたことは、トラウマ体験は無くなることはない、けれど、その事自体は当然辛い経験であるが、その後の人生では、多くの人たちが逆境を通った後も、強く生きていたことが書かれていて、その影の中の光だった。個人的に大好きな俳優、アラン・カミング(素敵すぎる!)や、ほかにも様々な職業に就いている人たち、経験を通してソーシャルワークに就いた人もいれば、まったく違う自分になり、名前を変え、生きている人たちもいる。親になって良いのかと悩む人もいる。

わたし自身も、たくさんの人たちに助けられ、ここまで来た。
そのことをなんで、時々見失うのか?
いや、ちゃんとわかっているのに、覚えているのに、極端になり、のみこまれてしまいそうになることがある。
「自立」という言葉にとらわれすぎていたように思う。もちろん、自立は大事なことだけど、わたしはこれからも一人きりでは生きられない。助けが必要だ。だけど、だからこそ、わたしがしてもらえて嬉しかったこと助かったことをわたしも返していきたい。

後書きには心が打たれた。

長い本の最後で書かれていたからこそ、余計泣きそうになった。似たような経験をした人はたくさんいる。だからって、自分の気持ちを無くす必要は無いし、蓋をすることもない(もちろん、全てをオープンにすることが『正しい』わけではない。それは個々の自由で、本でも、書かれている)。そして大事なことは、誰かが同じく声を上げていたら、自分が孤独だったからこそ、耳をすまそう。似ているようで、まったく違う声を。例え似ていなくともその人だけの声を。

そして。様々な人がいて、物事にはあらゆる面があっての先を生きよう、と思った。様々な人、物事のあらゆる面、そのうえで信じる道を強く生きてゆくのだ。様々な、あらゆる、で終わっちゃいかんのだ。

「で、お前はどやねん」を忘れないでいたい。
今ここからまた始める!