yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ひとりぼっちなのにあたたかい、電車図書館のおもいで--「もりのへなそうる」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

 

「ひとりぼっちなのにあたたかい、電車図書館のおもいで」

2017.04.28

 

 

いつから本を読むようになったの? なんて聞かれたら、正確に答えられる自信がない。何か劇的な出来事があったわけではないし、月並みだけど、「気づいたら」というのが一番近い答えになってしまう……きっとほとんどの読書好きがそうであるように。

大人になったいま、どんな本を読むかはたいてい自分が決める。もちろん誰かに勧められたり、書店員さんが書いたポップに惹かれて……ということも中にはあるけれど、それだって結局のところお金を払うのは自分自身なのであって、一ページ目を開くまでの時間はそれほど長くかからない。

改めてそんなことを思ったのは、昔は一冊の本に出会うまでの時間が今の何倍もかかっていたなあと懐かしくなったからで、けれど、だからこそ大人になった今も記憶にこびりついて離れないのだなあ、なんて感慨深くなったりして。

今回、連載機能を使って、本が運んでくれた人や景色のことについて書きたいと思ったのだけれど、そういえば「本を読む」という行為はいつも一人ぼっちでするものなのに、どうしてだか寂しさを感じたことは一度も無いのだった。

ゴーカートに乗ってキャーキャー騒ぐ親子、キラキラ光る芝生、なかなか変わらない信号。近所にあった少し珍しい交通公園の中に「電車図書館」はあって、今となってはハッキリした記憶もなくなってしまったけれど、思い出すとなぜかいつもホッとする、それがわたしにとっての電車図書館だった。

運行しなくなった一両だけの小さな電車。公園の端っこにぽつんと置かれたその世界は、わたしにとって、みんなにとって、初めて体感する図書館だった。それまで図書館という場所に行ったことがなかったわたしは、ひとつの空間が本で完成されていることに驚いて驚いて驚いた。こんな場所があっていいの? だって、ここ、まるで絵本の世界みたいやんか。

家にある本ももちろん大好き。何度も何度も読んで、科白まで覚えてしまうくらい。けれどあの頃、新しい本を手にするチャンスはそれほど多く巡ってこなくて、だから何の気なしに並んでいる本たちを本当に手にとっていいのか不安になった。そおっと触れた本たちはみんなの手に触れられたせいでボロボロになっていて、ところどころ破れていたり、セロテープで繋ぎとめられている箇所もあった。

あおむけに寝転んだり、あぐらをかいてみたり。座席は子供たちの部屋のようになっていて、窓からさしこむ光と外ではしゃぐ声とが混ざり合って不思議な空間になっていた。

家が近かったわたしは、電車図書館を見つけてから引っ越すまでのあいだしょっちゅう居座るようになり、自分だけの秘密基地を見つけたような気がしていた。多くの子どもたちが同じことを考えていたように。

たいていは絵本を読むことが多かったけれど、中には少し難しい児童書もあって、今となれば、読めない文字もあっただろうにどうしてこれほど覚えているのだろう? と不思議になる。

中でも印象に残っている本がある。「もりのへなそうる」だ。

 

「たった」二歳違い。と、今読むと思ってしまうけれど、子供にとっての二年はとっても大きく、姉がいたわたしにとっててつたくんは頼れるあたたかい存在だった。

思わずよだれが出そうになるお母さん手作りのお弁当を持って、ふたりが出かけて行く先はもりのなか。まだ三さいのみつやくんは言い間違えが多く、てつたくんが画用紙にまあるい形を書き、

これは たまごです。
と言ったそばからすぐにまねっこ、同じくまあるい形を書いたなら、

これは たがもです。
と満足気。ほかにも、ちずを「ちじゅ」など、こっそりのぞいている気分になるふたりの会話は、自分だってぜんぜん知らない言葉だらけだったにもかかわらず、くすくす笑えて仕方なかったことを覚えている。

ふたりが冒険先で出会う謎の生物「へなそうる」。大きくて、思わず逃げ出してしまいそう……かと思いきや、とってもおちゃめで優しく、ユーモアたっぷりのへなそうる。すぐに仲良くなった三人は、かくれんぼをしたりかけっこをしたり、時間が経つのも忘れて夢中で遊ぶのだけれど、外の明るさを忘れていたのがここにもひとり、公園のおじさんに呼ばれるまで、声に出しながら読み続けていたのだった。

引っ越した先に電車図書館はなく、それからは学校の図書館を利用するようになったのだけれど、段違いに多い本たちを前にしてみても、もうあの空間に行けない、そのことがすごく寂しかった。もちろんこどもの適応能力は驚くほどあっというまに効果を発揮し、電車図書館のことを考えない日はすぐに訪れた。けれどいま、本が最初に連れていってくれた景色を思い浮かべ一番に蘇るのは、決して綺麗ではない、埃と足跡がたくさんついた電車図書館なのだった。

本が売れないと言われるようになって、書店が少なくなって。そんないま、街を歩いていたら移動図書館を見つけた……! なんてことはめったに無くなってしまったけれど、直接的な利益にならないとはいえ解放されていたあの空間は、わたしにとって、みんなにとって、大きな大きな存在になっていたんだと思う。あの場所だからこそ、思いっきり「へなそうる」を信じられたように。