yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

イアン・マキューアン「アムステルダム」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「『初夜』などとはまた違った雰囲気の」

2020.01.02

 


おもしろくて一気読みだった。
アムステルダム」。

作者の小説は好きで、何冊か読んでいるけれども、個人的には、「初夜」や「贖罪」や「未成年」のような、切なくて、書かれなかったらだれの目にもとまらなかったような閉じられた空間をおもわず頭に浮かべてしまう詩的でうつくしい文体の小説たちが好みなのだけど、今回読んだ「アムステルダム」は以前読んだ「ソーラー」をちょっと思い出すような、洒落の効いた、じっさい読んでいて何か所か吹き出してしまった箇所もあったのだった。

「初夜」などの胸が痛くなるような切なさの極みの物語を書くひとが「ソーラー」や「アムステルダム」などのなんていうか、ユーモア(皮肉も多分に含んだ(笑))たっぷりのものも書くのだなあとおもうと振り幅すごいなあなんておもったりして、って、えらそうにすみません。

とあるひとりの女性が亡くなったことから始まる「アムステルダム」では作曲家やそれから新聞社の編集長、また外務大臣など彼らが共通して付き合っていたその女性が亡くなったことによってスキャンダルが持ち上がりすったもんだ仕事もモラルも権威も正義もあやふやなものになっていきます。彼らは一見すると社会的にもきちんとした(というのが何かはわからんが)少なくとも作曲家やら編集長やら外務大臣やら……それぞれの立場でやっているわけで、そんな一人ひとりが俯瞰で書かれているから、当然誰しもが単純ではないこと――表面的な面以外にも情熱的な面、情熱的になりすぎて戻ってこられない面とかとつぜんじぶんは世紀の天才ではないかとひらめいたりとか、自己憐憫に浸ったりとか相手を恨んだりとか偽善的だったりとか――を、読むことで、読んでいる側もそれぞれの複雑さを感じられて親しみを覚えたりあるいはここはじぶんにそっくりだなあ、なんておもったりだから時おり笑えるのかなあとおもう。「じぶん」も「だれか」も曖昧になってゆくので、やっぱりそんなふうに決めつけず丁寧に人が描かれている小説は好きやなあとおもう、ほかにもまだ未読の作品があるので読むのがたのしみである。