yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「世界中で迷子になって」角田光代

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「一人旅願望がむくむくと」

2016.11.21

 

 

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先日、ふとした瞬間に、一人旅願望がむくむくと湧き上がってきた。
なぜ急にと言われればはっきりと答えられないが、おそらく何か日常とは違うものに、思いをはせたかったのだと思う。

思いをはせるといっても、自分探しなどといった大げさなものではなく、足を運ぶことで新しい気持ちに出会いたかった。人は時として、目で見えない場所が本当にあるのか、あるとすればどんな世界なのか、無性に知りたくなるときがあるのかもしれない。

単純なわたしはさっそく本屋へ行き、そそくさとガイドブックコーナーへ。
数分後にはとっておきのガイドブックを手にレジへ向かうはずだったのだが、気づけばエッセイ「世界中で迷子になって」を持っていた。ガイドブックを横目に大好きな作家の旅エッセイを見つけてしまい、単純なわたしはどうしても無視できなかったのだ。(かっこよく言い訳をしているが、要はただのミーハーである)

 

「世界中で迷子になって」は、世界中で旅をした経験をもつ作者が、旅に対する思いをつづったエッセイ。作者が旅を始めたのは、なんと20代前半。それも一人である。そんな人はざらにいると思うかもしれない。しかし、そのころはまだ携帯電話が当たり前にあるわけではなく、ましてやそれほど金銭的余裕もなかったそうで、決して治安がいいとは言えない国に、ほとんど挑戦のように向かっていたそうだ。

まだ金銭的に余裕がなかったとはいえ、方向音痴と自称される作者がなぜそれほど旅に惹かれるのか気になった。

 

しかし本書を読み、少しわかった気がした。

知らないもの、見たことがないものを通過しても、「あぁ、そういうものなのか」だけで終わる人が大半だけど、それに対し、たとえ皆が忘れてしまっても考え続けることが、作者の心を駆り立てているのかなあ、と。

 

――いつだったか、食事をしているとき、こうやってご飯を食べている同じ時間にも、別の世界ではまったく別の風景が存在しているんだなぁと思ったことがあった。だが思っただけで、そのあとはすぐに忘れた。だが前述の文章を読んだとき、確かめずにはいられないという、本当の意味での「見る」ことを教わったように思う。

そこから始まる旅行記や旅に対する思い、出会った人のあたたかさ、文化の違いは読んでいてとても楽しかった。それは疑問に思い、いてもたってもいられず足を運び、ときに怖いめにあいながら「目にした」作者だからこそ書けるものなのだと思う。

エッセイの後半は「もの」に対する思いが続く。ついつい買ってしまうキッチン用品。もう食べられない母のおせち。目に見えない占いを買うこと――どのエピソードをとっても、あたたかくて安らいだ。

私が旅を実行する日がきても、おそらく近場を選んでしまうし、「一人」という自意識にとらわれるあまり、きっとあたふたして一日が終わりそうである。

しかし、本書を読んだ自分と読んでいない自分とでは、圧倒的に前者のほうが旅の良さに触れている、ということだけはわかる。それは必ずしもきちんと旅をしなければいけないというわけではなく、自分なりの旅をすればよいのだと教わったからだ。まずはほんの近場でも、足を運び自分の目で見てみることが、今からすごく楽しみなのだった。