yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ブレイク・モリソン「あなたが最後に父親と会ったのは?」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「誰しも終わりがくることを、忘れてしまいそうになるけれど」

2017.03.09

 

 


あんた、よくそんな細かいところまで覚えてるなあ。そう言って、わたしを育ててくれた人は笑う。「まあ、記憶力だけはいいから」。わたしは当たり障りのない言葉でごまかしながら、あなたとの思い出だから、忘れられないんだよ、と思っていることは言わないでいる。

 

 

わたしにとって大好きなその人も、大金持ちも、いま産まれた赤ん坊も、みんなみんな、いつか死ぬ。けれど、いまこの瞬間を生きるために与えられている時間と同様、どんな人生にも終わりがくることを、多くの人々は忘れている。忘れたふりをしている。思い出すと、明日を生きられなくなるから。

 

 

 

そうは言っても、どんなにあがいても逃れられないのが死というもので、身近な人や、自分の身に実感が起こってからようやく、産声をあげて生まれたからには終着駅があるのだと、脳のどこかにいったんしまっておいた記憶を「きちんと」呼び戻すのかもしれない。

 

 

 

そのとき、かけめぐるのは、どんなものだろう。人が死ぬとは、「いなくなる」とは、どういうことなのだろう。

 

 

 

「あなたが最後に父親と会ったのは?」。そんなタイトルで書かれたこの作品は、編集記者ブレイク・モリソンが父親と別れるまでを書いた回想録だ。

 

 

 

ある日突然末期癌を宣告される父親は悲しくも町医者で、その後あっというまにこの世から姿を消してしまう。時々偏見じみたことを言い、子供には過度に干渉し、本や映画はまったく見ない。自分の職業をたてに使ったり、同じチケットを何度も使ったり、たびたびちょっとした詐欺をする。とはいえ特別変わったところがあるわけではない、ちょっとした浮気も犯す普通の父親は、けれど普通だからこそ妙に現実味をおびている。

 

 

 

今にも向こう側へ行ってしまいそうな父親、過去のはつらつとした父親。そんなふうに、あちこち時代を飛びながら書かれる思い出は、まるで小説を読んでいるかのように、全てが「いま」起こっている出来事のようだ。それはきっと、大好きな人との思い出を忘れられないわたしのように、必ずしも記憶力の良さだけで成しえるものではないだろう。だって、なんにも、消えていないのだから。

 

 

 

けれど、たとえ「おはよう」と声をかけたとしても返事はないし、口うるさく干渉してくることも、永遠にない。それはどういうことなのか? 死んだ人はどこへ行ってしまうのか? その答えは出ないし出さなくていいのかもしれないけれど、「最後に会ったのはあの日あの時です」、そんなふうに言えたら素敵だなあと、じんわり思えた一冊だった。