yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジョン・アーヴィング「未亡人の一年」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「物語の良さを改めて感じる」

2017.04.12

 


ジョン・アーヴィングの小説を読んだのは今年に入って二作目だ。初めて手に取ったのは「ホテル・ニューハンプシャー」だったのだが、上下巻という長編にもかかわらず、「物語の力」という形のない何かを強烈に感じた。

 

 

 

今回読んだのは「未亡人の一年」という作品で、これもまた、「ホテル・ニューハンプシャー」に続く上下巻の長編だったのだけれど、読み終わってもまだ余韻が消えず、けれど何に心をつかまれたのか? と誰かに聞かれたとしても、なぜかうまく答えられる自信がない。

 

 

とはいえ、二つの作品には共通する思いを抱いていて、それはどちらも、とてもとても読者にゆだねられているなあ、ということだった。

 

 

書店へ行くのも図書館へ行くのも大好きだけれど、ついついやってしまうことがあって、それは背表紙のあらすじを確認するということ。

 

 

 

もちろん小説を読むにあたって自分が惹かれるジャンルというものはあるしそれ自体なにも悪いことではないのだけれど、「未亡人の一年」を読んで、出来事の大きさだけが物語の良さを決めるわけではないのだと改めて思った。それは、朝起きる、食事をする、スカッシュをする、などと同じ温度で誰かの死だったり強姦だったりが書かれていることへの衝撃だったのだと思う。

 

 

 

だから読み方によっては死より日常の何気ない会話に強い思い入れを抱く読者がいたとしても何もおかしくはなくて、ああ、自分はこういう部分に衝撃を受けるのだなあ、などといつのまにか驚くほど自由な世界へ足を踏み入れていることに気付かされる。

ということなどを踏まえると、「未亡人の一年」にはたくさんの主人公がいるなあと思う。

 

 

 

二人の息子を失ったマリアンはいつまでも暗いトンネルの出口を抜け出せずにいるし、のちに別々の道を歩む作家のテッドはあちこちで女性と関係を持つことをやめられない。子を失った夫婦という悲しい環境のもとに生まれてしまった長女のルースはいつまでも「自分の知らない兄たち」への質問を止められず、また、作家のアシスタントとしてやってきたエディはマリアンの悲しみをもった美しさにとめどない愛情を感じ、たったひと夏の記憶が一生を支配することとなる。

 

 

 

 

ひとりひとりにふりかかる運命はあくまでも結果でしかなくて、だからこそ、そこに至るまでの道を一歩一歩歩んでいく登場人物たちから目が離せない。結果だけで善悪を判断することなんて決してできないし、照らされている人も影にいる人もひとりひとりが主人公なのだと、切実さをもって「未亡人の一年」は語りかけてくれたように思う。