yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

チャールズ・ディケンズ「大いなる遺産」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「ピップと共に過ごした日々」

2017.10.22


「上」「中」「下」まとめての感想です。

 

ここしばらくのあいだは、この「大いなる遺産」を読むことに費やしていて、それはそれはとてもたのしい時間でした。そもそもこの物語を読むことになったきっかけは、「ミスター・ピップ」というロイド・ジョーンズの小説を読んだからで、私にとってはチャールズ・ディケンズを知るきっかけにもなったのでした。

 

「ミスター・ピップ」という物語については別記事で書かせていただいているのであらすじは控えようとおもうのですが、題名にもピップとついているとおり、ディケンズの「大いなる遺産」がとても大きな役割をもっています。島で読まれる「大いなる遺産」は子供たちの想像上のあたらしい世界になり、私はその物語を追いながら読んだことのない「大いなる遺産」に触れてみたい、そして少しでも「ミスター・ピップ」での子供たち、それから島でおこった様々なことを感じられればいいなあと思ったのでした。

 

この物語は「上」「中」「下」とわかれていてとても長く(角川文庫から出されているものを読みました)、私はもともと長編が大好きなのですが、それでも読みはじめるときには少し気持ちがそわそわしたので、読み終えた今は作品の楽しさはもちろんのこと、読み終わったなあという達成感のようなものがあります。やっぱり知らなかった物語の世界を覗くことはたいへんにおもしろく、ページをめくる前にはなかった、目には見えないけれども確実に “ある” なにかが残っていて、簡単な言葉だけれどやっぱり物語が好きだなあと思います。

 

物語は、主人公ピップの貧しい、けれどそのなかに人々の声や生活音が聞こえてくるような日常から始まります。鍛冶屋で育ち、姉は横暴な人でピップをたびたび罵るので胸が苦しくなるのですが、その夫であるジョウはとてもまっすぐで芯のある男だったので、お互いを親友というふたりのあたたかくも微笑ましいやりとりは、ほんとうに目の前に鍛冶場があるように浮かびました。

 

ある日ピップがちかくの墓場へいったとき、のちに物語の大きな核となる出会いを果たします。そこにいたのは逃亡中の脱獄囚で、ピップに食べ物と足枷を切るものを要求してくるのですが、その脅しにもみえる行為は、まだ幼いピップにとっては恐ろしいものでした。出来事の長さにしてみれば人生のほんの一部でしかないこのやりとりが、とった行動が、先の人生を大きく変えることになるのです。

 

一方、ピップはある風変りで財産のある老女の家へと行くことになるのですが、ミス・ハヴィサムというこの女性の描かれ方はたいへん印象的でした。心を許し人生を捧げると決めた男性に裏切られたミス・ハヴィサムは、光を遮断し、世間から逃れ、暗い部屋のなかでひっそりと暮らしており、時間が止まっているかのようにウエディングドレス姿のままなのでした。

 

また、その屋敷にはピップと歳の変わらない養女が暮らしていて、そのエステラという女の子は息をのむほどうつくしいのでピップは圧倒され魅了されたのと同時に、自身の貧しい運命、それから身なりやまっすぐなジョウまでもをみすぼらしく感じてしまいます。が、エステラはそんなピップの気もまったく眼中になくそれどころかその心は氷のように冷えきっており、感情がなく、それというのもエステラは、ミス・ハヴィサムの男性に対する復讐心によってただそれだけのためにうつくしく冷酷に育てあげられていたからなのでした。

 

いつかジョウのもとで弟子になり、鍛冶屋で人生をすごしていくのだと信じて疑わなかったピップは、このミス・ハヴィサムやエステラとの出会いなどをきっかけに、自分はいつか紳士になるのだと夢見るようになります。そこに莫大な遺産を相続するという話がもちあがり、その相続人の名前はその場では明かされないのですが、ピップの生活は一瞬にして変わり、あたらしい出会いがあり、周囲の態度も激変していって……。

 

チャールズ・ディケンズのプロフィールを見てみると1812~70と記されていて、私は先だってジェーン・オースティンの作品を読み終えたときにも驚嘆したのですが、こんなにも昔の、自分なんてなんの粒にもなっていない想像もできない時代にもかかわらず、人々の感情、それから欲や見栄や本心などが変わらないのは、まあ考えてみれば当たり前のことではあるのですが、驚いてしまいます。

 

特に、私は現代でいうとジョン・アーヴィングなどのような幼少期から大人になっていく過程が描かれている小説が大好きなので、この「大いなる遺産」を読んでいるときにも、心のうつりかわりや周囲の変わりよう、それから普段自分の目では見ることのできない贅沢な時間を過ごすことができて、深みにはまっているときにありがちな誰かを羨んでしまうような感情が、とおい昔に書かれた小説を読みながら、無意識ではあるけれど、浄化されていくことに至福を感じずにはいられないのでした。

 

歩いてきた道がある以上誰しもがもっている過去。手に入るものだけをそっと大切に、あたためるようにして目の前をただひたすら歩いていくのもひとつの道ではあるけれど、なにもおこらない日常も、予想だにしない出来事も、同じくらい心を揺り動かされるから答えなんてない。そう思うと、ピップがただ単に目の前の財産にくらんで違う道を歩んでいったわけではないことが分かるし、それぞれはそれぞれに、過去があって過程があって今があるのだなあ。なんて思わずにはいられない、私は当初の「ミスター・ピップ」を追いかけるという目的をわすれて、マティルダがあたらしい世界を覗いたように、「大いなる遺産」の世界にはまりこんでいました。そしてそれはほんとうに過ごしてよかったなあと思う時間でした。