*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。
「これまでなにを見てなにを見てこなかったのだろう」
2017.10.28
相手の人となりを知りたいとおもえば過去が必然、とまではいかなくとも重要な判断材料ぐらいにはなるだろう。とはいえ過ぎさった日々を振りかえることほど曖昧なことはないので、あくまでも「じぶんにとって」都合のいいことや印象に残っていることなどがそれぞれの過去になる。
ああそれってよく考えてみればほんとうにこわい。たとえ交友関係が狭くとも生きてきた以上かかわった人も少なくなくて、ある段階でお別れをしたのだとしても、枝わかれのように伸びていったそれぞれの道がどうなっていてどんな影響を与えてしまったのかはほんとうのところ知る由もないのだから。
とそんなことをぞっとしながら考えていたのは、ジュリアン・バーンズ「終わりの感覚」を読んだから。
劇的でスリリングな人生ではなかったが、気ままに引退生活をおくっていた主人公のもとに届いたのは学生時代の恋人の母親から届いた(正確にいうと代理をしている弁護士からの)伝言。
なんでも主人公へ託したいものがあるとのことで、それは多すぎることはない金銭と、おなじく青春時代をともにした親友の日記。
なぜ今になって? と戸惑う主人公だったけれど、好奇心も入り交じり過去を思い返していくことになる。
交際といってもまだお互いに性を扱いきれなかった恋人とのおもいで。そして、知的でいつも冷静な、けれど若くして自殺を選んだ親友。自分と別れたあとに恋人は親友をえらび、そのことが、当時はとてもこころを煮えたぎらせたこと。などなど。
読みおわり、主人公がたびたび投げかけられていた
「あなたはなにもわかっていない」
ということばが消えず、これまでの日々の不確かさをおもった。過去とはなんなのだろう、わたしとはなんなのだろう、そして、生きていくとはなんなのだろう……?
すべてを見ることは不可能で、同時に、それが良いことともおもわない。のだけれど、わたしはこれまでなにを見てなにを見てこなかったのだろう。
過去は一日一日の積み重ねで、もちろん今だってそう。けれどもそのことがとてつもなくこわい。ひとは、見てこなかったものの重みを背負いながら歩いていくしかないのだろう。