*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「『体の贈り物』を読み返して」
2020.02.26
「体の贈り物」を読み返した。
はじめて読んだとき受け取ったものを、
章の題でもある「言葉の贈り物」を、受け取ったはずだったのに、忘れてしまっていたなあと思う。
覚えているつもりになっていたなあと思う。
なぜ急に、読み返したくなったかはわからないけど、ページをひらいてみたら変わらず文字はあって。
書かれていた言葉から、
ちょっとした会話から、動作から、遠慮から、痛みから、書かれてはいなかったこと――交わしていたかもしれなかった言葉、過ごしていたもしれなかったある日のこと、などを思い浮かべてしまって、こんなこと書くのはずるいのだけれど、泣けてきて仕方なかった。
「体の贈り物」は、
ホームケア・ワーカーとして働く「わたし」の日々が書かれている。
ぜんぶで11の短編。
「わたし」は、一人ひとりの元へと向かう。
病に侵されている、リック、コニー、エドらの生活へと。
と、書くと、病や、
あるいは、ホームケア・ワーカーという言葉ばかりが目立つが、違う。
違う、というのは病や死は扱われてはいるが、「わたし」、それから「わたし」が出会った人々らの記録は、何も特別ではないからだった。
当たり前だけど誰もに子ども時代はあって、
外を駆け回って、恋をして、仕事に明け暮れたり、自暴自棄になったり、夢を描いたり、諦めたりしたかもしれない……書かれてはいなかったけど、戦っていた彼・彼女らにも“前の日々”はあったし、その後も、小説の中で昨日、今日、明日、苦しみや葛藤はありながらも、喜びもあり、生活をしていた。
*
読み終わっても、
「体の贈り物」の中の光景が残っている。
いつもドアまで迎えに来てくれたリック。
けれどある日行けなかったリック。
体調が優れないにもかかわらず相手を気遣うコニー。
出来ることは出来るうちは、誇りをもってやっていたコニー。
ホスピスに空きが、との電話で必死に気持ちと戦っていたエド。
整理がつかず、尖った言い方になったことを気にしていたエド。
らと共に時間を過ごしてきた、
おなじく、いつだって戦い続けてきた、相手が心を擦り減らさないよう、ある意味では心を擦り減らし続けていた「わたし」。
と、周りの人々。
の、周りの人々、
の、周りの人々。
*
大切な言葉を大切にしながら
(本書では、エイズについて書かれているが、今の様々にも、いえることだと思う)
またやってゆきたいなあと思えた。