yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

レベッカ・ブラウン「体の贈り物」再読

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「『体の贈り物』を読み返して」

2020.02.26

 

 


「体の贈り物」を読み返した。

はじめて読んだとき受け取ったものを、
章の題でもある「言葉の贈り物」を、受け取ったはずだったのに、忘れてしまっていたなあと思う。
覚えているつもりになっていたなあと思う。

なぜ急に、読み返したくなったかはわからないけど、ページをひらいてみたら変わらず文字はあって。

書かれていた言葉から、
ちょっとした会話から、動作から、遠慮から、痛みから、書かれてはいなかったこと――交わしていたかもしれなかった言葉、過ごしていたもしれなかったある日のこと、などを思い浮かべてしまって、こんなこと書くのはずるいのだけれど、泣けてきて仕方なかった。

「体の贈り物」は、
ホームケア・ワーカーとして働く「わたし」の日々が書かれている。
ぜんぶで11の短編。
「わたし」は、一人ひとりの元へと向かう。
病に侵されている、リック、コニー、エドらの生活へと。

と、書くと、病や、
あるいは、ホームケア・ワーカーという言葉ばかりが目立つが、違う。
違う、というのは病や死は扱われてはいるが、「わたし」、それから「わたし」が出会った人々らの記録は、何も特別ではないからだった。

当たり前だけど誰もに子ども時代はあって、
外を駆け回って、恋をして、仕事に明け暮れたり、自暴自棄になったり、夢を描いたり、諦めたりしたかもしれない……書かれてはいなかったけど、戦っていた彼・彼女らにも“前の日々”はあったし、その後も、小説の中で昨日、今日、明日、苦しみや葛藤はありながらも、喜びもあり、生活をしていた。

読み終わっても、
「体の贈り物」の中の光景が残っている。

いつもドアまで迎えに来てくれたリック。
けれどある日行けなかったリック。
体調が優れないにもかかわらず相手を気遣うコニー。
出来ることは出来るうちは、誇りをもってやっていたコニー。
ホスピスに空きが、との電話で必死に気持ちと戦っていたエド
整理がつかず、尖った言い方になったことを気にしていたエド
らと共に時間を過ごしてきた、
おなじく、いつだって戦い続けてきた、相手が心を擦り減らさないよう、ある意味では心を擦り減らし続けていた「わたし」。
と、周りの人々。
の、周りの人々、
の、周りの人々。

大切な言葉を大切にしながら
(本書では、エイズについて書かれているが、今の様々にも、いえることだと思う)
またやってゆきたいなあと思えた。