yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

サミュエル・リチャードソン「パミラ、あるいは淑徳の報い」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「小説をさかのぼる」

2020.08.23

 


最近またジェーン・オースティンの小説を読み返していた。
やっぱり、めちゃくちゃおもしろかった。
それで、そのなかで(読み返していたのは「ノーサンガ・アビー」)小説についての会話があって、「サミュエル・リチャードソン」という名前が出てきたのでまた注釈にて、オースティンにおおきな影響を与えたことで知られる、とあったので読んでみたくなった。作家が、影響をうけた作家を辿っていくのはたのしい。
「ノーサンガー・アビー」に出てきた「サー・チャールズ・グランディソン」はみつけられなかったので、「パミラ、あるいは淑徳の報い」を読むことに。

 

で、これがなかなか分厚いのでひさしぶりの大長編うれしいな。
といいながらも、読み始めたら分厚さで手がつりそうで読み終えるのに二週間かかった。
けれども、内容はとても読みやすく、難しさもなく、というのはこれは「パミラ」の手紙形式でほとんど書かれていたので、またその手紙というのも後々、両親に読んでもらうため書かれていて言い換えればパミラの日常の記録、ひたすら書いてかいてまるで紙に語りかけるように、といった具合なので覗き見ているような感じなのだった。
とにかくこのパミラはつねに書き続けるのでぜったい黙らないパミラのリアルタイムの興奮、感情、が伝わってきて読むのもとまらない。オースティンが読んでいたというのだから、ずっとむかしの小説なのにもかかわらず、リズムもノリノリだからこちらもノリノリで読んでしまう、言い換えればこのリズムのおかげで展開自体はなかなか進まないところあるのだけど、文章自体を味わうのもわたしはすきなので読めたところもあった。
長いのに展開なかなか進まないってどんな話かというと、すごく短縮したらお屋敷に仕えているパミラがやさしくしてくれていた奥様が亡くなったことでその息子であるご主人様(と、パミラは呼んでいた、ひかえめにいってクズ野郎)からひたすら逃げまくる&それを記録する&ちなみに逃げまくる理由はセクハラ&信仰に忠実なパミラ淑徳(淑徳いま覚えた)を守る! というはずがなぜか中盤以降から様子がかわってきて……読んでいたらつっこみどころも満載だけどやはり、パミラの手紙スタイル、というのが読んでしまうのと、つっこみながら読むのがたのしい。最後のほうなんかもうつっこみがとまらない(もちろんいま現在読むからこそだけど)、なぜなら気付けば結婚の心得〜箇条みたいなのが始まったから。
しかし、こんなふうにして物語は更新されてゆくのだなあ、とかおもったり、というのはパミラは解説によると当時、すごく売れたそうな、からのパロディも多く書かれたそうだ。パミラがあまりにも天使風に書かれているので、作品でもずっと「ああ神様、感謝いたします!」といった調子。
だけどなんどもパミラが自分自身に「高慢」にならないようにしないと、みたいにいっていたのとか、「日常」を広げるのとか、あとそれから翻訳だから詳しいことはわからないけどオースティンの文章もノリノリで川のようにどんどん流れていくような感覚でいつも読めるので、繋がっている気もして、むかしを辿るのはたのしいとおもった。
物語を読んで書かれてを読んで書かれてを読んで書かれて……

言葉が作品となって放たれが繰り返され、更新され、いまに至るのだなあとあらためておもった。