*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。
「全部がつまっているような気がした」
2017.12.22
言葉に助けられることは多い。けれどその反面怖いなあとおもうこともたくさんあって、たとえば、あたらしく「引きこもり主婦」なんて言葉が出てきたときには、これは自分にも当てはまるのではないか……? と不安になった。
それまではほとんど気にならなかったことが、あたらしく名付けられると不安になるのはどうしてだろう。そんな疑問も客観的に見られるようになった今だからこそ思えることで、当時は、何に対してかわからないままとても焦っていたようにおもう。
べつに、働くことだけが全てではない。そう自分に言い聞かせながらも、どこにも属していない自分が、何一つ生み出さない自分が怖かった。必要とされたい、とまではいわないけれど、必要とされないことが怖かったのかもしれない。
鬱々とした日々は、働きに出たことで驚くほど過去のものになってしまった。懐かしいなあとまでおもった。結局、様々なことを何周もかけて面倒に考えていた自分は、属したことで、日々をせわしなく過ごすことで救われたのだろう。
カフカの「城」を読んだ。
城から測量士として呼ばれたK。長く苦しい旅の末に辿りついたにもかかわらず、村ではほとんど歓迎されなかった。それどころか、「測量士なんていらない」「城との連絡が行き違っていた」などと言われる始末で、Kは行き場を見失ってしまう。
当初は、すぐにでも城へ行けると信じて疑わなかったから、今さら多くのものを投げ打ってきた故郷へ帰るわけにもいかない。これはどうやら面倒な道のりになりそうだ、さっさと村に馴染んで住民の意見に従ってしばらくとどまろう、と諦めることは難しくなかったけれど、Kはそうはせず、妙ちきりんな助手や突然出会ったクラム(権力者)の恋人であるという女性とすったもんだしながら、終わりの見えない迷路を彷徨っていくーー。
この小説には、諦めも決意も妥協も思惑も……もっというと生きるとはなんであるのか、働くとはどういうことなのか、ということまでもが全部つまっているような気がした。もちろん、明確な答えなんてないけれど、最近読んだカズオ・イシグロの「充たされざる者」と同じような感覚で、彷徨っていることが心地よかった。
「引きこもり主婦」なんて言葉に過剰にビクビクしてしまったように、冷静になってみると笑ってしまうことはたくさんある。それはどこかに属していたって同じことで、いつのまにか足並みをそろえていたり、空気を読んだり、計算をしていたりする。たとえ無意識であったとしても。
けれど、その真っ只中にいるときは分からない。なんだかおかしいぞ、ということに気づかない。集団の力は、いつのまにか「普通」になったものは、とても強いのだ。
未完で終わっている「城」だけれど、何度も読み返したい、そう強くおもった。