yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

アーザル・ナフィーシー「テヘランでロリータを読む」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

「想像のちから」

2018.10.11

 

 

アーザル・ナフィーシー「テヘランでロリータを読む」。私はほんとうに何も知らない。読みながら自分で自分に嫌気がさした。私は改めて本を読むとはどういうことなのかについて考えた。想像のちから。想像がつれていってくれる場所。想像できる尊さ。自分のなかにある自分を自分によって確立させてゆくこと。虚構のなかの登場人物たちが現実世界にもたらしてくれるもの。本を読んで、日常と同時に生きるもうひとつの世界。というのがどれほど幸せなことであるのか。みんなで物語について、物語の登場人物たちについて語り合う部屋のなか。の空気目配せ恥じらい持ち寄ったお菓子。一冊の本について授業のなかで行われる裁判。ヴェールのなかのひとりひとりの思い。苦しみ。とにかくすぐに読める本ではないので、時間はとてもかかったし、分からないところもたくさんあったけれど、でも、ぜんぜん、「今ここ」から遠くなんてなかった。辛く、思わず閉じてしまう場面も多々あり、私は私としての人生しか今後も生きられないけれど、でも、これからも本を通して、力をもらいながら、考え、生きていきたいと思う。思った。自分でない誰かは「誰か」であったとしてもその人にとっては自分と同じ自分であるということ。また読み返したいと思う。