yuriのblog

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コルム・トビーン「ノーラ・ウェブスター」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「恐れすぎず今日を積み重ねていくということ」

2018.12.29

 


コルム・トビーン「ノーラ・ウェブスター」を読んだ。

読みながら、静かに、でも絶えず力をもらっていたように思う。

波にさらわれるような大きな展開はないのだが、夫に先立たれたノーラの三年を共に追っている時間が、しみじみ日常に入ってきてほんとうに心強かった。

教師であった夫モーリスは人望が厚いひとだったので、残されたノーラの家には連日多くの人が訪れた。ノーラは、思っている感情に心では気付いていても、それをそっくりそのまま出すタイプではなかったから、疲れを感じていても、来訪者の音がするとさっとドアを開けて招き入れた。

専業主婦として四人の子どもを育ててきたノーラ。下の子ふたりは多感な時期で、生活のためにはいくつかの決断が必要だった。

長期休みに家族で訪れていた家を売り、事務員として仕事にも復帰する。吃音の症状が出始めていたりなど、少なからず息子たちにも動揺が見られていたが、そのたびにノーラは自身に問いかけて対処法を決める。過度に騒ぐことはせず、泣いてすがることもない。でもノーラの内で、確かに起こっている葛藤があって、私は読みながら発せられなかった言葉のことを思った。人が、人に対して何かを思いあえて口に出さなかったもの。正しいかどうかは分からないけれど、子どもに対しても、久しぶりに復帰した職場の冷ややかな視線にも、あちこちにノーラの飲み込んだ思いがあった。

私はノーラが強いなと思った。外側から見るだけでは分からない強さもあるのだなあと思って、優しい、とはどういうことなのかを思った。

それだけではなくて、行動に対し恐れ過ぎないところにも私は勇気づけられていた。これまでとは違う生活に虚無感は持っている、田舎町ではほとんどの住民と顔見知りで、たとえばある日思い立って染めた髪色が派手すぎやしないかと気が気でない日もある。

でも今日を積み重ねていく。

娘や息子たちとの関係性がこれでいいのか分からないし、目の前で心を閉ざされることもあるけれど。とあるきっかけで再び歌と出合い、あたらしい喜びを知ったノーラはゆっくりと、日頃のあらゆることとは離れた “自分だけの” 世界を作っていく。

失ったものはあり、時間は二度と戻ることはないけれど、必ずしも悲しさだけが残るわけでない、そこからうまれるものもあるのだというようなことが、直接的な言葉ではなく、ノーラの踏み出していった道や覚悟を通して伝わってきて、そうか、今日だっていずれ過去になるのだなあ、過去ばかり見ている今日も過去になるならば今を見ないとなあ。と、どこか別の感覚で分かったような気がした。

ノーラが、怖さを乗り越えて少しづつ積み重ねていった今日の塊が、私に力をくれたのだと思った。