yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

チャールズ・ディケンズ「大いなる遺産」再読

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「ピップとジョー」

2020.04.22

 

 

 

なぜか定期的に読み返したくなる一冊で、読み返して数ヶ月経つとまた本棚から取っているのに気付く。
わたしはこの物語を最初「ミスター・ピップ」という小説をきっかけに知ったのもあって、読むたびにそのときの思い出、というのは「ミスター・ピップ」は子どもたちが「大いなる遺産」を読んでもらって、ピップとの日々を過ごす話なのだけれども、そのときはわたし自身もまだディケンズのこともそれから「大いなる遺産」のことも知らなかったのでいったいどんなお話なんだろう、とおもって読んでいたのだった。

だからいつも、読み返すたびそのときの思い出もぞろぞろと後ろについてくる。みんなと一緒に、教室に座ってはじめて聞いていたときの光景が、もちろんそれというのは勝手にわたしが頭の中で作った景色なのだけど、懐かしくてかなしくてたまらない。「ミスター・ピップ」は決して明るいだけのお話ではなかったから、でも読みながら共に過ごした時間がわたしには大事なものになったから。

そして「ミスター・ピップ」を読み終えてからどきどきしながら「大いなる遺産」を探しに行ったのを覚えているし、最初に読んだのは図書館で借りてきた古いものだったけど(上・中・下巻あって例えば「ジョー」は「ジョウ」だったから雰囲気も違っていた)、みんなが読んでいたのはこの物語だったのかと、知れたことが嬉しくて、でもやっぱりかなしくて。

 

だけど読み終えてから「ミスター・ピップ」に戻ってみるとまったく新しい物語のようにも思えたし、それから今度は違う翻訳でも読んでみようとおもって、新潮文庫のを買って今日も再読していたけれども、わたしはやっぱり主人公ピップとジョーとの時間が読んでいてたまらない。観たいなあとは思いつつも映画はまだだし、いったいジョーがほんとうのところはどんな姿なのか(『ほんとう』なんてなくともそれでも)、想像でしか思い浮かべることはできないけれど、不幸、なんてのはじぶんの身にだけ起これば良いのに、なんてことをいっていたジョーのことが、それからピップが字を書いて見せたときもジョーはすごく喜んで、すごくピップのことを褒めて、あんたは学者だなといってただひたすら凄いすごいといっていた。「ここにジョーという字があるぞ!」と興奮していたのをその場面を思い出していると胸がいっぱいになる。ジョー自身はそのときは字を書けなかったけれど、それでもピップのことを褒めて一緒になって喜んで。

またピップがミス・ハヴィシャムの家へ行ってから帰ってきて、たった一日でじぶんのことを虚しく感じてしまい、だからジョーにそれとなくそのことをいう場面や、そのときのジョーの返事や、戻るけれど物語最初のほうでジョーの背中におぶわれていたピップの姿や、などなど、今日はまだ下巻には突入していないけれど成長してからのピップとジョーとの再会の場面を思い出してみても(ピップの成長はもちろん読んでいて面白いのだけれど)、その反面どこまでもジョーはジョーだったから、しばらくぼんやりしてしまうのだった、しんみりしてしまうのだった。

だから読み返すたび、
「大いなる遺産」の思い出だけでなく、「ミスター・ピップ」をはじめて読んだときの気持ちやそれをきっかけに「大いなる遺産」に出会えたときの気持ちや、その他諸々含めて、しつこめに気付けばちょっとまた久しぶりに会いたいなあ、なんておもってしまうピップ&ジョーなのでした。

というわけで再びの下巻も大切に読まなければな。