yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジェイン・オースティン「マンスフィールド・パーク」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「一冊でいろんな気持ち」

2020.04.19

 

 


近頃の楽しみあり慰めでもあるのはジェーン・オースティンの小説を合間に読むことで、けれど唯一困るのは一度読み始めると止まらないこと。
はまったきっかけは先日読んだ「ノーサンガー・アビー」で「あれジェーン・オースティンってこんなに笑えたのか」と知ってからだった。
それですぐぜんぶ読んでみたくなり、順番は気にせず一冊ずつ。

今回読んだのは「マンスフィールド・パーク」でわたしが選んだのはちくま文庫のもの、結構な分厚さなのでこれでしばらくは作品の世界へとお邪魔しようと思っていたら、これがおもしろくてやめられないとまらない、ちょっと夜中具合が悪くなるくらいぶっ続けで読んでしまったので、とにかくリズムの良さ、読みやすさという点でもお気に入り(日によって硬質なのが読みたい場合もある)。

 

どういうところがおもしろかったのか、というのは何点かあるけれど、まずひとつめにそれぞれのキャラがまた最高で、以前読んだほかの作品でもミスター・コリンズという超絶大袈裟なお世辞演説ばかりしている人物がいて、いまも忘れられないくらいすきなのだけど、今回もなかなかパンチが効いていて外せないのがノリス夫人。
もうこのノリス夫人のせいで笑ったり腹が立ったりじぶんにもこういうとこあんのちゃうのと振り返りが始まったりで忙しかった。
というのもどんな人物かというと一見親切で面倒見があって主人公ファニーを気にかけているように見えるのだけど(ノリス夫人は主人公の叔母)、ほんとうのところはじぶんが注目されたいだけだったりとか、同情をひきたいとかそんなことばかりだからである。
たとえば主人公ファニーの面倒をぜひ見ましょうという話になったときも、先頭にたつわりにはびた一文お金を出す気はないし、じぶんの家に住まわせる気もないしで、にもかかわらずファニーには意地悪ばかりいってあんた感謝しなあかんで! 誰のおかげでここまで立派な教育、暮らしできてると思ってんのちゃんとそこんとこ分かっとけよ! という押しつけが半端ない。

言い出したにもかかわらず。

でも不思議だなあと思うのは、作品の醸し出すユーモアのおかげで以前のミスター・コリンズも今回のノリス夫人もなんだか憎めない。むしろすきになってくるというか、登場を待っているというか、きっとそれは出てくることで作品が生き生き動き出すからなのだと思った。まったく、みんなが驚くような報告はじぶんが真っ先にしたいとか、注目してほしいときはいきなり部屋をドタバタ動き出すとかノリス夫人の強烈さはすごかった。
ほかにもいつも座っておりおっとり(悪く言えばぼんやり)しっぱなしのバートラム夫人などもいるのだけど、ノリス夫人の前ではかすんでしまうくらいなのだった。

第二に上に書いたのは主に「笑い」が大半なのだけどそれだけでなく腹が立ったりもするのだ。特に主人公ファニーがとちゅうファニー自身の気持ちを無視されてくそみそに言われるところは「はー?」と思って言い返したくて心の中でぶつぶつ、まんまと物語の波にのせられまくっていたのだった。

第三になにしてんねんと百回くらい突っ込みたくなるシーンが大好き。
というのはとちゅうの「素人芝居」のくだりで登場人物たちが芝居を始めるのだけど、分別のあるエドマンドにはこれは賛成できなかった。なぜならいまは家に父がいないし、こんなことをして婚約をしている妹もいるのに節操がない。なにかあったら取り返しがつかないし、秘密でお父さんの部屋を勝手に使うのも間違っているし絶対にぜったいに取りやめるべきだ、と強くみんなに言うのだけど誰も聞かないし、あげくのはてにはエドマンド自身も恋心で浮ついて判断がにぶり参加しだすし、当初は身内だけの単なる遊びの約束だったにもかかわらず、なんならノリス夫人まで準備でのりのり、みんなものりのりでヒートアップしてきて部屋で絶叫するものまで出てきたり、

ひたすらのなにしてんねんでしかないし、しかもこの素人芝居のくだりは最終悲惨な結末を迎えるのだった。それも含めて笑えたのだけど。

というような感じで、なかなかの長さではあったけれどぜんぜん飽きなかった。主人公ファニーのお行儀の良すぎるところには度々むしゃくしゃしたし、加えてファニーの従兄弟エドマンドもこれまたご立派すぎる、少々説教臭いので読者としては「ノーサンガー・アビー」のキャサリンのような妄想爆発だったり、「自負と偏見」のエリザベスのような負けん気の強いのが好みではあったりするのだけれど、そのことと作品の面白さとは関係ないのだなあと思った。読み手をつかんで離さないところとか、脇役にぴかーんとスポットライトをあてて登場させたりとか、のお陰でファニーらも光ったりだとか等々、一冊で笑ったり怒ったり反省した気になっていたりで心の中は、絶えず忙しなかったのだった。

残るは「エマ」も大切に読みたいと思います。