*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「いつも心にジュディを」
2020.06.09
「あしながおじさん」を読み返しました。
なんど読んでも読み終わったあとは、というか読んでいる間も元気が出る作品です。
それから思い出の多い作品でもあります。
すぐ影響されやすいわたしは、いちばんはじめに読んだのはいつだったか、はっきりとは覚えていないのですが、子どものころジュディになりきっていた時期があったからです。
日記を書くのが好きだったのですが、読み終えたあと、文章の口調が急に変わったのを覚えています。まるでノートに向かって話しかけるように書いていました。
日記を書いていたのは大学ノートでした。
勉強のために必要だと嘘をついて、まったく関係のないことばかり書いていたのです。
真似っこをして書くのはたのしかったです。
ジュディは日常を報告する手紙の最後を、じぶんの名前でしめくくるのですが、わたしも自分の日記だけど「誰か」に向けて語りかけて、それから最後は「~シャ・アボットより」と名前を添えるようにしていました。
思い出せば小っ恥ずかしいですが大切な思い出でもあります。
そしてそれだけでは書き足らず、ジュディの真似をして(似た環境だったのですが)内緒で毎日とある人へ手紙を書き出して――最終的にはノート五冊以上にもなりました――いつもそのノートはチャック付きのおおきなぬいぐるみの中に入れて隠していました。
上級生の男の子がゲーセンでドラえもんのぬいぐるみを当てて、いらないからといってくれたので、それを枕代わりにしてその中に突っ込んでいたのです。だから寝返りをうつたびノートのカサコソいう音がしました。でもまったくバレなかった!
嫌だったことも嬉しかったことも将来への不安も、期待も、誰かの特徴もぜんぶ書いていました。
なのでわたしは「あしながおじさん」を読んで、その度にジュディの生きていく力に励まされるのだと思います。
ジュディの手紙は一見ハッピーなオーラが目立つけれど、もちろん持ち前の明るさやユーモアはあれど、ジュディの踏ん張る力もあらわれているように思うからです。書くことで自分で自分を奮い立たせているようにも読めます。
きっと、しんどいこともたくさんあったはずだと思うからです。
とはいえ小さかったころは、そこまで考えて読んでいたわけではありませんでした。ただジュディの書く手紙が素敵だなあと思っていただけで、影響されまくっていただけで。笑っていただけで。
好きなところは幾つもあるのですが、例えば学び始めたころのジュディ。
周りのみんながとうに知っていることを、じぶんは知らなかったことを知ったジュディはけれども、笑われてちょっと恥ずかしい思いはするものの、へこたれません。
むしろこれから知っていける、という喜びをかみしめて、どんどん本を読んで、学んでいきます。じぶんの考えもしっかりと持ちながら。
ジュディは作品内では大学生ですが、わたしは最近「嵐が丘」や「ジェーン・エア」を読んだところなので、ジュディはわたしにとってはまだいろんな意味で大先輩なのでした。
「いろんな意味で」というのは作品を読んで、ジュディは自分の目で考える力も持っているからです。哲学を学んだら、その次には「でもわたしの哲学はこうだわ」と。
それにしてもその時々で感じること、目をとめる箇所が違うのはそれはそれでおもしろいなあと思います。
今日も読み返していたらある日のジュディはめちゃくちゃ喜んでいました。
またある日の手紙ではいや急にどないしてんと思うくらいかしこまっていたし(本人は大真面目だからこそ笑っちゃいます)、がっくり落ち込んでいたり、かと思えばつぎの手紙ではケロッと晴れやかになっていて、上の引用のようにその時々の今をいつ読んでも味わえるので、笑って泣いて悔しがって、作品に終わりはあれどきっと今もどこかでそんなふうに続きを、色々な気持ちと一緒にジュディは強く生きているのだろうとそんなふうに感じます。
というわけで、いつも心にジュディを忘れずにいたいと強く思った日でした。