yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ロジェ・マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々 12(エピローグ 1)」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

チボー家の人々」 12

2020.12.23

 

 


エピローグ前半。

前回の十一巻とは別の意味で、一気読みだった。

というのは、前回は怒濤の勢いで話が進んでいったからだ。
ジャックのほとんど暴走ともとれる展開を読んで(ジャックの性質、状況からみて無理もないけど)こちらも読んでから暴走列車のような気持ちになり、暴走列車のまま書いた。

が、今回は「その後」だったのだ。
それは、ジャックがいなくなった「その後」。
とうぜん、生きているものたちは日々の生活がある……ジャック亡き世の中を、生きていかねばならない。

毒ガスによって負傷したことにより、すこしの間でさえ、話すのが苦しいアントワーヌ。

十二巻ではそんなアントワーヌの過去に対する、反省を含んだ心境が主だったのだけど、わたしは、前回ジャックに対し暴走列車かましておきながら言うのもなんだけど、今回この作品で、短くない登場人物たちとの付き合いにおいて、いちばん誰に惹かれていたかといえば、アントワーヌなのだった。

確かに、アントワーヌにも欠点はあったけれども、それは、言い換えればジャックにも同じことが言えたのだ。

もちろん、だからこそジャックにしか見えていなかったことはあった。たくさん、たくさんあった。ある意味、いつも過剰だったジャックだからこそ。そして、そんなジャックの身近にいたからジャックはいまも、それぞれの心に生きているのだし、それは読者であるわたし自身も同じ。

けれど見方を変えればジャックからは、アントワーヌの世界は、知ることはできなかったのだ。「ほんとう」の意味では。むしろ、アントワーヌだから伝わってくるものが多かったように。

わたしがアントワーヌのことをいつもすごいと思っていたのは、大雑把に言ったらいつだってじぶんの人生を懸命に歩いていたところだった。ジャックはよく「兄さんは分からないんだ」的なことを言っていたけど、それを読むたびわたしはモヤモヤしていて、それは思うに「ずるい」と感じていたのだと思う。
ジャックの正義はわかる。
でも……、と。
アントワーヌはジャックの理想通りの人ではないけど、と。
金銭的余裕のある生活に慣れていたこともあるし(それによって傲慢なところがあった)、物事に対し真っ正面から向き合っていなかったことも確かにあったかもしれない。

けれど、そういった時期も矢印が自分に向いていたことは多かったように思う。
これでいいのだ! とか。
これでいいのか? とか。

揺れながら、迷いながら、地に足をつけ歩いていた姿がまぶしかった。

常に世のことをいちばんに考えていたジャックとは、自分は似ても似つかないが、わたし自身「考えている」ふりをしてじっさい現実では、なにも行動していないことが多くきれい事ではいかない中をアントワーヌはそれでも踏ん張り、なにより十二巻では間違いに気付き変化している。そして「生きている」!やっぱり、そう思うとジャックの「その後」が見たかったな。なんて思ってしまう。

それから。今回はジェンニーの成長も凄かった。ジャックと恋に落ちていたときはある意味すべてをなげうっているような感じだったけど、これからはじぶんの力で歩いて行く、と強い決意を胸にもっているジェンニーは、その言葉は、二度目のまぶしかったですわ。自分にないところをもっている人には惹かれる。憧れる。

チボー家の人々」は、そんなふうに「変化」があるから貪り読んでしまうのだなあと思う。
なぜなら、とある一カ所だけを見てもぜんぜんその人をあらわしていないからだ。
「その前」、「その後」、がある。
環境や人の影響で大きく変わっている。
そのとき、そのひとにとっては(一見違うように見えることも)、真実であったことがわかるのだった。

とかまたえらそうに書いてる自分は(いつも自分自分すみません、でもこういうふうにしか読めない、どうしても)どの地点に立っているかといったらずばり一巻二巻あたりをうろちょろ、ちょろちょろ……なんなら戻り……
変わらねばならん。変わりたい!

残り一冊、お別れするのが寂しいようなしばらくは
おさらばしたいような感じなのだった(褒めてる)。