yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

情熱があるのは悪いことばかりじゃなかった。

 

何事も考えすぎて、一直線すぎて、生き方が一向に上手くならない。

 

こんな性格だから柔軟に考えるのも苦手。

 

間違っていると思うことは、妥協できなかったり。

 

勝手に落ち込んで、同じことを永遠に考え続けてグッタリなんてこともしばしば。

 

切り替え上手には一生なれないと思う。

 

ここ半年くらいはそんな性格に嫌気がさしていたんだけど(なんせ、通っていた場所の人には人生の大事な物事の話の際も“切り替え上手になろう”とか“気にしないようにしよう”とか“視点を変えよう”とか言われ続けていたのだ)

 

でもここ数日で、こんな性格だったからこそ、人と深く繋がることができて嬉しかったことがたくさんあった。

 

それこそもし、私がさんざん言われていたように切り替え上手で見て見ぬふり--悪い意味での視点を変える(目を逸らす)生き方をしていたら出会えなかった時間がたくさんあった。

 

一つは育った施設の先生との時間。

 

昔は施設の環境も今みたいに整備されておらず、プライバシーなんて無に等しかった。

 

そんな中でも先生との思い出もたくさんあって、笑い合って、悩んで、助けてもらって……

 

そんな姿を見てもらっていたから、この前再会して、あなただからこうして会いたいと思ったんだよ、と言ってもらえた。

 

そして、あなたが言ってくれたから、今では変わってきたこともあるよ、と。

 

なんか嬉しかった。

虐待していた先生もたくさんいたことを卒園してからも訴え続けていた、それでもそう言ってもらえたことが。

 

それから、ずっと大好きで一途に応援していたお店の方に会えたこと。

 

私の情熱にちょっと相手の方も驚かれていて。

 

でも好きなものはいつもとことん好きだから、追求しているうちに自然と詳しくなった。

 

これからも商品を大切に使い続けたい。

 

 

落ち込むときはとことん落ち込む人生だけど、でもそれって言い換えればスルーしてこなかった、とも言える。

例えば毎日虐待のニュースがあるけれど、そのたび寝込むくらいしんどいんだけど、でもそれくらい向き合わないとだめだと私は思う。

見なきゃいい、とか、今は幸せでしょ?とか何度も言われたけど、そういうことじゃないと思う。

 

今もどこかで子どもが傷付いて、傷付いて、傷付いている。かなしい。本当にかなしい。悔しい。

そしてその親も、虐待を受けて育っていることが多いのを知っている。なぜなら私は施設で、一緒に育ったから。そして私が大人になったように、そのときの子どもたちが今、親になっているから。

 

だから、こういうニュースを見て「へー」で終わることはできないのだ。

そういうことを言っても分かってもらえないことが多かった。だからその場所にはもう行かない。後悔は全くない。人として大切なことだけは見失いたくないから。

 

 

これからゆっくり自分にできることを探しながら、この性格が嫌になることもあるけど、でもだからこそ出会えた時間があることを忘れないでいたい。

 

もうすぐ選挙だけど、期日前投票も済ませてきた。今の重苦しい世の中が変わっていきますように。