yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジョアンナ・ラコフ「サリンジャーと過ごした日々」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

 

「それぞれのサリンジャー

2017.10.03

 


これまでに読んだ物語すべて脳に閉まっておくことができればいいのだけれど、残念ながら記憶には限界がある。当時の自分がどれほど心を動かされ刺激されていたとしても悲しいことに忘れてしまったものも少なくなくてそのことがときどき、ほんの少しもどかしい。

一方でどれだけ日常に振り回されているときでもふとした瞬間にあらわれてはこちらを伺うようなもう絶対にさよならをできない物語もあってわたしにとってそして多くの数えきれない人がそうであるようにサリンジャーは特別な作家だ。

こちらで「ライ麦畑でつかまえて」のレビューを書いたとき運よくツイッターなどでも紹介していただいたのだけれど、わたしの書き方が良くなかったせいで誤解されてしまった部分がある。それはわたしがあのとき初めて「ライ麦畑でつかまえて」を読んだということ。

「青春時代の必読書」「中二病小説」「年齢によって読後の思いが変わる」。

ライ麦畑でつかまえて」がそんなふうに言われているのを知ったのは読み終わったあとのことでわたしは当時サリンジャーという作家の存在すら知らなかった。

だからこそなんの先入観もなくまっさらな状態で「ライ麦畑でつかまえて」に出合うことができた。好運だった。わたしがめくる手を止められなかったのはほかの小説と同じくただただ純粋にもう逃れることができなくなっていたからだった。

だから読み終わったあとに「ライ麦畑でつかまえて」がどれほど大きな影響力をもっていたか――あるいは今もなお持ちつづけているかを知り「青春時代どころか今読んでもグサグサ刺さってきやがります」などと表現したのだった。

わたし自身がいま青春時代にいるかはわからないけれど、本を愛するひとびとの多くが通ってきた道よりも遅くサリンジャーに出会ったことは確かで、けれどそれはわたしにとっては何の問題もないことだった。

サリンジャーの書く物語には「力」があって、ただ文字を追うだけの作業をとおしわたしの心臓は絶えずどきどきした。

と同時にきっと多くのひとびとが世界のあちこちでそれぞれの特別な体験をしまるで物語とふたりきりになったような感覚を味わったのだと思う。誰かに話す必要のない自分だけの思いを。

作家と物語は別物で切り離して捉えるべきである。きっとそれは一理あるのだろう。

けれどわたしはどうしてもサリンジャーという作家のことが知りたくなった。

彼はどういう人だったのか。どういうものに心を動かされ腹立たしく思ったり絶望したりしたのだろうか。

でも当然ながらどれだけ情報を得たとしてもサリンジャーを知ることにはならずむしろますます興味は深まっていった。隠遁生活や戦争体験のことを知ったときには近しい友人の報告を聞くよりも心を動かされた。

とここまで書いたわたしの思い出なんてほんとうに取るに足らないものだ。なぜならわたしと同じように心を揺さぶられた読者は世界中にあふれ返っていてそれぞれはそれぞれに自分だけの特別な思いを抱えてる。

けれどもこの気持ち。もう無かったことにはできないこの気持ちいったいこれはどうすればいいのだろう。

そんなときに手に取った一冊の本。ジョアンナ・ラコフ「サリンジャーと過ごした日々」。

 


 
本書はメモワールの形をとり作者のサリンジャーとの日々が描かれている。

メモワールといっても内容は小説のようでサリンジャーが登場する箇所はそれほど多すぎることはなくあくまでも作者の当時(新社会人になったばかりで恋人と同棲を始めたころの)がメインになっている。

ジョアンナにしか書けなかった個人的なサリンジャーとの日々。

もちろん作者はサリンジャーと本来であれば遭遇することのない体験をしているけれど、だからわざわざ書いたというよりもその他多くの読者と同様個人的な思いを抱えたひとりだった。

ひょんなことから出版エージェンシーでアシスタントをすることになった作者は、会社が抱える作家のひとりにサリンジャーがいることを知る。任された仕事はタイプライターで口述筆記をすることで時には作家あてに届いたファンレターに返信を書くこともあった。

中でもサリンジャーあてのファンレターはこれが一日分? というほどに多かった。彼女は一通一通を開封し脅迫めいたものがないかを確かめながら返信を打っていった。

といっても内容は決められた定型文だ。

サリンジャーは定められた決まりが多いことで有名でファンレターは一切本人のもとへは届けないことになっていた。彼女は決められた文章をどんどん打っていくのだが書かれている内容のほとんどは身内にも明かさないような個人的な感情の吐露ばかりであまりの切実さに感情は大きく揺さぶられていって。

読むべきときはあったにもかかわらず通りすぎてきた作品というのは誰にでもあって彼女にとってそれはサリンジャーだった。

一度も読んだことのない作品。けれどもつぎつぎに届けられるファンレターは今ここで直接話しかけられているように生きていて……。

あたらしい仕事。刺激的で危険でもある恋人との生活置いてきてしまった学生時代の忘れられないひと。そのほか変わりゆく友人との関係や自分自身の思いなどが絡まり合ってサリンジャーとの出会いがたった一年の日々を忘れがたいものにしていく。

サリンジャーの生い立ちや個人的なことはほとんど書かれていない。だからそういったものを求めているひとには違うかもしれないけれど、わたしは彼女の個人的な日常と彼女だけの思い出を覗くのが心地よかった。それぞれがそれぞれにサリンジャーへの思いを抱えていてわたしの思いもそのひとつに過ぎないのだということがあたたかく感じた。小さな取るに足らない思い出もじぶんの中で特別であれば宝物に違いないのだと。

とてもシンプルな装丁を好んだサリンジャー。世間から離れていたサリンジャー顔写真の掲載を嫌ったサリンジャー

サリンジャーはもうこの世におらずどれだけ彼をおもっても届くことはないけれど、だからといってそれぞれがおもうサリンジャーが消えることはない。もっと早く出会っていればと寂しい一方で「サリンジャーと過ごした日々」の作者同様出会う時期にいいもわるいもないのだろうともおもう。

作者が過ごしたサリンジャーとの日々はわたしの退屈な日常とは似ても似つかないけれど、わたしの小さなピースがその他多くのなかのひとかけらであることはとても大きな幸せにおもえてくるのだった。