yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

ジェーン・オースティン「分別と多感」

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「いつの時代も変わらないもの」

2017.10.08

 


小説に出てくる小説を追いかけて読むのが好きで、ジェーン・オースティンの作品はそのうちのひとつだった。毎度のことながら作者についてはまったく無知のまま読みすすめたのだけれど、読了後、作者が生きた時代は日本でいうと江戸時代後半にあたると知りたいへん驚いた(200年以上も昔の作品なんて!)。

だってそんなことは微塵も感じられなかったくらい読みやすかったし、もちろんそれは翻訳の力あってのことなのかもしれないけれど、書かれているストーリーは現代にも通ずるところがほとんどだったからである。

いつか晴れた日にー分別と多感ー」。映画化されていることさえ知らないわたしなのだけれど、本書は主に、性格のまったく異なるふたりの姉妹について書かれた物語である。

姉のエリナはいつも周りに気を配り、自分の感情を優先させるでなく何事も冷静に分別できるタイプ。冷静でいられないほど悲しい出来事があっても、感情をそのまま出してしまい周りに心配をかけてしまうことを避けるため、自分の気持ちはぐっと押し殺し、笑顔で振る舞うことを忘れない。結果、いつも不利な立場になってしまって、損をすることも少なくない。

一方、多感と表現される妹のマリアンは文字通り何事もあけすけで、たのしいときには心から笑い、そうでないときには周りをも巻きこむほどの落胆ぶりを見せる。マリアンからすれば姉の分別さは自分の気持ちに嘘をつくことでしかなく、あまり理解できないことだった。

女性にとって結婚が全てといっても過言ではなかったこの時代、ふたりはそれぞれに出会いを経験し、一方は冷静に、また一方はのめりこむ勢いで流されていく。異なるふたり、けれど互いに思い合うふたりの行く末はいかにーー。

読みながら、当時の時代背景や家々の景色などを想像するのが好きなわたしは、家族総出で結婚に運命をかける姿や自然豊かな街並みに思いをめぐらせていた。
今では考えられないようなことももちろんあって、たとえば連絡手段が手紙しかない当時、文が届くまでに誤解が生じたり、会えない時間はそういった連絡手段以外まったくの音信不通になるからもどかしかったりする。
また、旅と簡単にいっても今のようにすぐ目的地へたどり着けるわけではないから、親類に呼ばれてちょっと出かける、ということが大イベントだったりする。

そういったことに触れるのはたいへんおもしろく、刺激的だった。しかし冒頭でも述べたように、人々の性質や思いを細やかに捉えたこの物語は、読んでいて遠い昔の出来事とはおもえないほど、今に通ずるものであふれている。

自分の感情は二の次にする姉。自由奔放な妹。どちらが正しいというわけではなく、それぞれの思いをそれぞれの立場から感じられるように書かれていて、いつの時代も変わらない普遍的なものがあるのだなあとしみじみしてしまったのだった。

ジェーン・オースティン、たいへん気に入ってしまったので、近々他の作品も読みたいとおもいます!