yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

エリザベス・ストラウト「私の名前はルーシー・バートン」

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。

 

 

「心の動き」

2018.11.16

 


「私の名前はルーシー・バートン」を読んだ。

 

先日、同じ作者の「オリーヴ・キタリッジの生活」を読んだところ物凄く嵌ったのである。

 

「バージェス家の出来事」のほうがどうやら先に出ているようだったので、悩んだのだが、取り敢えず再び「オリーヴ・キタリッジの生活」を読んだときの感覚に浸りたくなったので、あらすじを読んで、近そうだと(自分が)思った「私の名前はルーシー・バートン」を読むことにした。

 

これは過去を回想している物語である。

 

“私” はタイトルにもなっているルーシー・バートン。むかし、盲腸をきっかけに九週間入院をすることになり、そのときの出来事を、それからのち作家になったルーシーが書いている。

 

病室の窓からはビル群が見えていた。子供に会えず、夫にも会えず心許ない気持ちになっていたルーシー。ふと視線を移すと母親が足元の椅子に座っていた。久しぶりなのに、そうではない様子で。

 

子供の頃住んでいた家はガレージを生活空間にしているような感じで、同級生たちにはひそひそ囁かれていた。真っ暗な場所に閉じ込められたこともあった。でも出された後は頭を撫でられたこともあった。良い思い出もそうでないのもある。記憶というのは不安定なものだけど、でもそういうこと。目を凝らしてみれば極端なことばかりではない。

 

幼少期の暮らしが両親や兄弟と会わなくなっていた直接の原因だったのかは分からない。とにかく母は来ていた。そして昔話やあの人にはこういうことがあったとか、夫に逃げられたようだとか、そういうようなことをぽつぽつと話した。ルーシーは時おり質問をしながら聞いた。過ごしてきた時間をお互いが別々に持っている。時々病室に先生が入ってくる。言葉になる前の寂しさを言葉にすることなく汲み取ってくれているような先生。過去が、時々襲ってくる。わっと言って蹲りたいような気持ち。でも目の前に母親がいた。ママ? と声に出して呼びかけた。いろいろが絡み合う。という時間をまたルーシーが思い出して書いている。

 

短く分けられた章の一つひとつが詩のようだった。

“私” の記憶の断片。をまた時間の離れたところで私が眺めている。を作者が眺めているのを今読んでいると私自身の記憶もぱちんぱちんと浮かんでは消えて行くようだった。の繰り返しだった。

 

作者の作品に出会ったのはここ最近のことなのだが、私は物凄く好きだなあと思う。こういうお話が好きだ。信じられる心の動きがある。過ぎて行った時間。強い感情を持った日。誰かの一言。それぞれに過去を持っている。心の動きを持った “私” がたくさん。ルーシー・バートンにも、母親にも私にもあった。本当にここではないどこかで書かれたもの? だって、こんなにも近しいのに。