*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。
「それぞれの私」
2018.11.20
気に入るといつも続けざまに読んでしまうところがあってエリザベス・ストラウト三連続。
「オリーヴ・キタリッジの生活」「私の名前はルーシー・バートン」ときて今回は「バージェス家の出来事」を読んだ。
最初に母と娘が語っている。タイトルにもなっているバージェス家について。
作者の小説にはいつも所々にはっとさせられるような工夫が成されており今回も冒頭に母と娘の会話が入れられてから物語が始まることで私はバージェス家のことを、バージェス兄弟とバージェス兄弟に関わる人々のことを一人ひとりが主人公であるように眺めることができたのだと思う。
長男ジム。双子のボブとスーザン。三兄弟が育ったのはシャーリー・フォールズという田舎町だ。
ジムとボブは既にこの町から出ているのだが、スーザンは残っており、ある日スーザンはジムに緊急の電話をかける。気弱で人とうまくなじめない変わり者の息子ザカリーが、 “あること” をしでかしてしまって、弁護士であるジムに助けを求めたのだった。
この “あること” をきっかけに、兄弟の日々は揺れ動く。周囲も動く。それぞれの視点から語られる感情の動き。まるで自分の心を丸裸にされているみたいだと思ったのは、それもひとり残らず思ったのはひとの心というのは状況や体調や理由なんて分からないさなかにも幾重にも色を変えるからだろう。真っ赤に憤慨しているときにもすっと静かに過去は通り過ぎるように、しんと静まり返っている部屋で灰色の靄に支配されていても日常の取るに足らない出来事がぶらさがってくるように。
ジムとボブとスーザン。共通した過去を持つそれぞれはしかし蓋を開けてみれば持ち帰り方は様々だった。もちろん重なっている部分はある。でもそうでない部分はあるし地元に残ったもの地元を出たもの抱え続けていたもの負い目トラウマ踏ん張るための虚勢…
どの立ち位置から見るかで全部は変わる。
作者の作品を読んでいるといつもそういうことだよなあと呟きたくなる。そういうことだよなあと具体的に何に対して思っているのかはうまく言えないのだが、でもひとりで生きるということ。過去をずるずるぶらさげながら歩いていくということそれでも “ひとり” としてひとと関わっていくということ。凄く励まされた。月並みな言い方だけれども頑張ろうと思った。
ここに私がいる、というのを私が知っている。ここにいるからこそ書いている部屋の窓からは雨音が聞こえるしまた距離を伸ばしても私でない別の私が続いていてそれぞれに雨音は変わる。
というようなことを物語に侵入しながら思っていた。
終わってしまったのに終わっていない物語。立っている場所は同じ。なのに私の枠にももうひとつの枠が被さってきたようで交わったところを想像した、心強かった。