*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「物語がある、という心強さ」
2016.11.29
すきな作家の本を見つけると、とたんに視線を外せなくなる。
一刻も早く読みたい衝動を抑えきれない。
そして作品の世界へ入ったら最後、
家事、公共料金の支払い、ひどいときは尿意も我慢し、言葉の世界へとトリップしてしまう。
小説という物語ということは理解したうえで、作品と一対一で話しているような、心を許せる友に出会えたようなときを味わうことができる。
その後は、書き手にも興味がわいてくる。
作者と作品は別物だと分かっていても、新しい世界を知ることができたのは生みの親がいたからだ。
おそらく膨大な本を読まれてきたのだろうなあと、勝手に想像する。
「私たちには物語がある」は、読書の記録だ。
紹介される本のジャンルは多岐にわたる。
小説、エッセイ、漫画、写真集。かたよりのない紹介は飽きない。
そしてどの作品にも、愛情をもたれていることが伝わってきた。
「私たちには物語がある」。
タイトルを、読み終わったあとも眺める。
人はどれだけ思い合っていても、
完全に分かり合うことはできない。
それは人の数だけ心があるからだけど、
それでも誰かを愛する。
愛すること、また愛し合うことは幸せなことばかりではなく傷つき、傷つけあうことでもある。
多くの世界や、価値観、共感できなくとも、共感できない自分もまた収穫だ。
ひとはひとりということは、この世界はひとりの集合体である。
食事をしなければ命は消えてしまうが、本を読まなくても栄養が足りなくなることはない。
けれど、自分という小さな世界から飛び立てる。
作家の愛した本たち。
読書記録を読むことは、個人的な日記よりも深いかもしれない。
「私たちには物語がある」という言葉を感じた。
紹介されている本たちとの出合いが、楽しみでならない。