yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「夜を乗り越える」又吉直樹

 

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「本がくれる果てしないもの」

2016.11.15

 

どれだけその本に満足できたかは、本をパタンと閉じたときだと思っています。(自分の中では、ですが)この「夜を乗り越える」を読み終えたとき、まさに閉じた瞬間じわーっとあたたかいものがこみ上げてきて、今まで本を読んできてよかったなぁと改めて思うことができました。

まずタイトルの「夜を乗り越える」。自意識がつきまとっていた学生時代や、芸人として売れなかった時代。眠れない夜、幾度となく本が救ってくれたことに感謝されているとても素晴らしいタイトルだと思いました。

そしてこの新書では、「読書家」と呼ばれる日常的に本を読むことが習慣付いている人だけでなく、全く本を読まない人、もっと言うと「なぜ本なんか読むのか」「インテリぶって」と思われる人にも伝わる又吉さんなりの考えが綴られています。

小説はたしかにまわりくどい、映画やドラマなどのように結末がすぐ分かるわけではないし、文章を読み慣れていない人からするとしんどいのも無理はないのかもしれません。が、しかしです。その「まわりくどい」中にこそ小説の良さがあり、結末を求めることだけが読書の役割ではないことをとても分かりやすく書かれていらっしゃいます。

例えば、最近の世の中って共感ばかり重視されていますよね。「共感度120パーセント!」「全米が泣いた!」などのキャッチコピーたちをよく目にするように。

もちろん「共感すること」それ自体は本当に素晴らしいと思います。では共感できなかった場合は?感情移入できなかったら本当にだめなものなの?又吉さんはそういったことにもメッセージを投げかけていらっしゃいます。

 

「共感できなかった!」ではなく、「なぜ共感できなかったのか」を考える。そうでなければ共感できるもの以外は全てダメという悲しすぎる結果になってしまいます。かくいう私も、学生時代にある小説を読んで、「ぜんぜんわからへん!」と投げ出してしまったことがありました。「わからへん」のは間違いなく自分の力不足ということは棚に上げて。

しかし数年後もう一度読んでみたらまぁ面白い。あれよあれよと読み終わって、その作家さんのファンにまでなりました。だからこそ私は買った本を売らないし、時期をみてもう一度読みなおす楽しさもあると思っています。もちろんあくまでもわたし個人のやり方ですが。

そのほかにも本当に本を愛する又吉さんだからこそ言えるメッセージたちがたくさんあり、改めて本がくれる果てしないものの可能性に心が動かされました。大好きな太宰治のこと、火花を書かれるに至った過程、近代文学のおもしろさ……。これから本を読もうとする方、もちろん読書好きの方にも、心に残るものがきっとたくさんあるはずです。

私が読み終えて一番おもったこと。本がくれる果てしないものの中に、「考えることの大切さ」が挙げられると思いました。不倫をしてしまった人が一斉に非難される。暴力をふるってしまった人が人間として最低なやつだと決めつけられる。でも、それってそんなにすぐ決めつけていいものなのかな?と。

それは不倫や暴力を正しいと言っているわけではなく、物事には必ずしも「過程」があります。いろいろな過程があって感情があって結果がある。自分という気持ちのある人間で生きていればそんなことは分かっているはずなのに、なぜか「考える」ことが止まって結果だけを見てしまうって怖いことですよね。わたしは作者から、そんなときこそ本を読み、いろいろな人間の気持ちに寄り添うことがどれだけ尊いかということを改めて学ばせてもらいました。完璧な人間なんていないし、物語には必ず自分の味方になってくれる存在がいるからと。

数々の夜を乗り越えてきた作者だからこそ言える本への熱い思い、ぜひ一読してみてはいかがでしょうか。パタンと本を閉じたとき、早く新しい物語に触れたいと強く強く思いました。