*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「はじめましてのトルストイわたしはリョーヴィンがすきだ!」
2019.03.14
小説に登場する小説を読むのがすきだ。
すでに読んでいる作品はもう一度読みたくなるし、タイトルすら知らない場合はメモをとっておいて、後日、あのときの会話はこの物語だったのだなあなんてひとりしずかに興奮して。
はじめてトルストイを読んだ。
アリス・マンローの「情熱」という短編で「アンナ・カレーニナ」 についての会話があったのだ。読むたびに共感する人物が変わるというのが興味深かった。
読み始めてすぐ、ドリーとオブロンスキー夫婦の言い争いで笑ってしまった。とおいむかしに書かれたとは思えないのだ。あらためて、深刻に捉えてしまうようなことも、駆け引きも多くの人々が繰り返しくぐり抜けてきた景色なのだとおもった。
タイトルから、アンナを中心に描いた物語を想像していたのだけど、アンナの夫カレーニン、アンナと恋に落ちるヴロンスキー、ドリー、オブロンスキー(名前似すぎやろ問題)夫婦、それからちっとも晴れないアンナ周辺と対比して描かれるキチイとリョーヴィンについてがおもしろかった。
特にリョーヴィンの心の内は割合的にも多くを占めていて、農地経営や政治の話になるとむずかしいところも多かったのだけど、わたしは常に葛藤し続けているリョーヴィンの人間らしさがすきだった。
物語終盤のアンナの叫び。どうしたいのか、なにを望んでいるのかさえわからなくなっているふたりの会話は一気読みで、夫婦ってほんとうになんなんだろうかとか大真面目に考えてしまった。
それでおもしろいのは、いちばん心に残っているシーンが華やかな社交界でも子供に会えないアンナでもなくリョーヴィンと百姓たちの草刈りの場面だったということ。コズヌイシェフに小言いわれてもかたくなに、自分の人生とはなんぞやと己に問いかけるリョーヴィンの姿が妙に焼き付いていて、でもこれもまた読み返すと変わるんだろうか。でもだいすきやでリョーヴィン。うまく馴染めないリョーヴィン信仰と向き合うリョーヴィン。しばらくはふたたび本棚で寝かせておくとして、ずっしりと重たかったけれども文体も読みやすく、話もとてもおもしろかったです。