*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「わたしにとっての『体の贈り物』」
2019.03.27
とてもやさしい物語。とてもかなしくて静かでさみしい物語。
わたしたちはうまれてきた。
うまれて、知らなかったものをみて、食べて祈って眠る。
笑い合ったりとか、
そんなまばゆい記憶ではなくとも、
過ごしてきた以上もどらない時間というのはあってテーブルに食器を置く音、
ふれあったときの冷たさ、寝息、
それらはたとえ小さくたって一瞬限りのかけがえのないものなのだ。
*
ここまでは、わたしが読み終えて書いためもだ。
物語のなかで
「私」は病をもった人々の、家を訪れる。
みんな、きちんと、「生活」をおくっていた。
きちんと、というのは「きちんと」かなしんだり、かなしみに気付かないふりをしたり怒ったりするという意味でのきちんと。
助けをかりるきちんともそう、助けをかりるのがつらいというきちんともそう。
*
死の近くにいながら「私」は、
つらさだけを感じていたかというともちろんそうじゃない。
「つらさ」のなかにしかない、喜びや安らぎがあるから。
わたしは、この本を読めてよかった。
読んだからといってなにかが変わる、なんてことはもちろんないのだけれど、
でもよかった。
やさしい物語、なんて書いたけれども「やさしい」ってなんなのだろうか。
あえて外にだされなかった言葉を感じるとそうおもう。
それでこうもおもう。
相手が、おもっていても言葉にださなかったことを知っていた「私」は、
やっぱり、ほんとうに、やさしい。
時には「みない」ことで相手をみていた「私」は、ひどいことだって秘めているのを知っていた「私」は正直で、強くて、やさしいひとなんだ。
だってそれは、目の前に自分とおなじく「私」をもっているひとがいるというのを、
知っている、ということだとおもうから。
生きるのもこわいし、死ぬのもこわい。
そういうきもちの支えのような一冊だったなあ。
「支え」なんて簡単な言葉だけれどもそうおもった。
*
これは、とてもやさしい物語。
とてもかなしくて、静かで、さみしい物語。