*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「音読という名のスタンプラリー」
2017.05.24
小学校のころ、音読の宿題があった。わたしの学校では「読みごえ」と呼ばれており、全く苦痛に感じない唯一の宿題だった。
新しい教科書を嗅ぐ。あのまっさらな紙の、なんとも言えない香りとさわり心地。学期が変わるたび折り曲げないように気をつけるのは最初だけで、しばらくすると、角が丸まりどんどん小さくなってしまう。
何度も読んだお話の数々。授業で習う前に先読みしちゃうもんだから、勝手に得意げになっていたことが懐かしい。
「スイミー」「たぬきの糸車」「ちいちゃんのかげおくり」「ふたりはともだち」。どれもどれも好きだったけれど、音読をするうえで、特にお気に入りだったお話がある。
「ずーっと ずっと だいすきだよ」。
愛犬エルフとの物語。(教科書では、エルフィーではなくエルフになっていました)。どんな命にも限りがある。それを理解できていたかは分からないけれど、まっすぐな「ぼく」のこころがまぶしかった。
「ぼく」のきもちは「ぼく」のものにもかかわらず、全身で感情をこめていた音読はいま思い出すとこっぱずかしい。が、いまでも鮮明に覚えていられるのは、聞き手の愛情も大きかったのではないか、そんなふうに思うのだ。
音読を聞いてくれる先生は、勤務時間の関係でいつもバラバラだった。住んでいた施設は広くていくつもの部屋に分かれていたから、別の部屋で洗濯物をたたんでいる先生に聞こえるよう、わたしは大声を張り上げて「ぼく」に変身した。ふと、ほんとうに聞こえているか心配になったときは、おはなしの途中に「ちゃんと聞こえてるう?」「聞こえてんでえ」という確認を挟みながら。
「ずーっと ずっと だいすきだよ」。「ぼく」にかわって、エルフへ何度も気持ちを伝えながら、必ず最後まで聞いてくれる先生たちがすきだった。読み終わったあとにくれる手書きスタンプがすきだった。
とり、おに、かえる、がいこつ。先生たちはそれぞれオリジナルマークをもっていて、読むたびに増えるそれらを、友人たちは羨ましいと言ってくれた。本心かわからなくてもうれしかった。
もう、あのスタンプラリーは回れないけれど。「ぼく」になりきった音読の思い出は、ずーっと ずっと 消えないでいる。