*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「贅沢な読書」
2017.01.28
今年はよく手に取るものばかりでなく、
いろいろな作家の本を読んでみたい、と思っていて開高健の作品は初めてだった。
「知的な痴的な教養講座」では、広く深い知識と、少し(かなり!?)痴的なエピソードが繰り広げられる。
これまでアンソロジーでしか読んだことがなかったけれど、大変おもしろく、なんだかお酒を飲みながら読みたい贅沢な一冊だった。
といってもわたしはお酒が飲めない。
なのにどうして「お酒を飲みながら」かというと、ページをめくるほど、どこかの薄暗いバーで話を聞いているような気持ちになるのだ。
「おい諸君」、そう言って語られる数々の話は、日常では出会うことのないものばかり、文章を追いかけているにもかかわらず耳を傾けているような、不思議な感覚だった。
様々な国へ足を運ばれている。
ある時はモンゴルでしばらく暮らし、またある時はニューヨークの死体置き場にいる。
旅行をしないわたしはそのひとつひとつに驚き、見たことのない景色を、異国の人を想像する。
それから、趣味の度を越えて語られる「釣り」や「お酒」の話も。
第二十章「輪廻」ではアラスカの川へ上がってくる魚の話を交えながら、輪廻転生という、果てしない問いが書かれている。
それからもっとも興味深く読んだのは、第三十三章「ブルジョワ」。
パリのインテリ青年と話していた著者は「ブルジョワってどういうことなのかい?」と聞く。すると青年はしばらく考え込んだのち、静かに暮らすことだと答える。
この言葉に著者は味わいを感じ「静かに暮らす」ことの幸福を問う。
そしていつか近い将来、携帯電話を誰もが持つようになるかもしれない、そうすれば、それこそ静けさなど無くなるだろう、とも。
想像が現実になっていることに驚きと哀しみを感じた。
一冊の本から広大な世界と、男女の魅惑さ滑稽さを感じ、気が付けばあっというまに生徒になっている自分がいたのだった。