yuriのblog

日々のあれこれや、小説・海外ドラマ・ゲームなど、好きなことについてたくさん書いていきます。

「笹の船で海をわたる」角田光代

 

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

 

「時代に翻弄されながらも必死に生きた、ひとりの、ささやかで小さく燃えるような人生」

2018.01.04

 

年の瀬から年明けにかけて「笹の舟で海をわたる」を再読した。

冒頭、主人公の左織は義妹の風美子と一緒に家を内覧する。景色の綺麗な、ホテルのように広い家。けれど左織は、その家に自分が住むということがまるで実感できない。

一方、俄然乗り気である風美子は今にも契約しそうな勢いで、ここのなにがそんなに気に入らないのかと首をかしげる

お互いに夫を亡くした義理の姉妹であるふたりは、もともと、疎開先で出会っていた。疎開先では親と離れて暮らさなければならず、各部屋には全てを仕切るリーダーがおり、風美子は来る日も来る日もいじめられていたという。

部屋の違った左織は、そのことがまったく記憶にない。もちろん、始終お腹を空かせていたことや、自分の部屋にも全員を従わせるリーダーがいたことは覚えているけれど、風美子と大人になって再会するまでは、記憶に蓋をしたように、それらはどこかへ消えていたのだった。

再会は、ずいぶんと先のことだった。とつぜん目の前にあらわれた大人になった風美子は、疎開先での生活に触れ、わたしはたくさんあなたに優しくしてもらったのだといった。いつかお礼がしたかったのだといった。

けれども、左織はそのこともあまり覚えておらず、風美子との再会を機に、自分の部屋でおこっていたこと、なんの疑いももたずリーダーに従い、そうしなければならないのだからと同部屋の子を閉じ込めたことなどが蘇ってきたのだった。

もしかすると、わたしが皆と一緒になって閉じ込めたのは、風美子なのではないか。いつか仕返しをしてやろうと思っていたのではないか。左織は、そんなふうにおもう自分に嫌気がさし、そのたび自己嫌悪に陥る。

後に、夫となる温彦を風美子に紹介した際、風美子は自分とは違って親しげに温彦と話し、いい人じゃない、といい、それからそう長くない間に今度は、温彦の弟である潤司と付き合うことになったといってきた。

まさか結婚まではするまい。そう左織は考えていたけれど、そんな不安をよそに風美子は、結婚をすることになった、となんでもないことのようにいうのだった。

姉妹になってからの風美子は、料理研究家として次々にめまぐるしい活躍をみせ、戦争によってすべてを失ったことを取り戻していっているかのようだった。すべてが手に入るのだと、信じて疑わないようだった。

左織は、そんな風美子を近くで見ながら、けれど自分は、ひっそりと家庭を守ることにだけ幸せを感じていた。つつましく普通に暮らすというだけのことが、自分でもなぜだかわからないほどにおもしろいのだった。

左織はそれから二人の子をもうけるが、長女である百々子のことを、長男の柊平よりも可愛くおもうことができない。

そんなふうにおもう自分は母親として最低だ、と左織は感情に蓋をし、そのような素振りなど一切見せないように振る舞うのだけれど、成長していくにつれ、百々子とはまったく折り合いがつかなくなっていく。

けれど百々子は、風美子にならば、風美子にだけは、心を許せるようだった。堅苦しい考えしかもてない自分とちがって、さまざまなことが変わっていっても変われない自分とちがって、柔軟に、そのままの百々子を見てあげられる風美子。自分は、風美子がいなければ娘との関係さえうまくやれないのか。自分の人生は、風美子の思うとおりになっていくのではないか。おかしいとわかっていても、左織はいつまでもその考えを拭い去ることができないのだった。

二度目を読みながら、一度目に感じていた引っ張られる感覚が蘇ってきた。

 

美智子様のご成婚、学生運動三島由紀夫自死。戦後の日本を交えながら、ひとりの女性の、ありふれた人生が進んでいく。

きらびやかで新しい時代にすぐさま順応する風美子と違い、起こることを疑いもせず、そのまま受け入れてきた左織。ものすごいスピードで変わる価値観や人々に戸惑いながら、けれど涙ぐましいほど必死に、左織は生きる。

古いものはもう戻らず、間違ったものは正され、常識は常識ではなくなる。そのたびに、ああそういうものなのかと受け入れられればいいのだけれど、それだって、あのころと呼ばれる過去を生き抜いてきた人々の時間があったから。

自分にはなにもない。風美子という人間にいつしかくっついて、気がつけば娘のことも息子のことも、ましてや夫のこともまるでわからない。

べつに投げやりに生きてきたわけではない、むしろ普通を普通に、ただただ素直に生きてきただけなのに、わたしが歩いてきた道はなんだったのだろう。そんな左織の叫び声は、二度目に読んだいまも、共感するしないにかかわらず、胸をえぐられるようだった。

だからこそ、物語終盤、わたしはどれだけ左織に勇気をもらったことか。

誰がなんといったって、いま手の中になにもなかったとて、これがわたしの歩いてきた道なんだ、と。

たとえ描いていた未来とはかけ離れてしまっていたとしても、ひとりの人間が生き抜いていくということは、ぜんぜん、簡単なことではない。

一度読み終えた小説は、どこかでもう自分のものになったような錯覚を抱いてしまっていて、本棚の飾りのようになってしまうけれど、開きさえすれば、その時々でおもうことも変わっている。

 

変わっていくなかで生きた、ひとりの、小さく燃えるような人生だった。