yuriのblog

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「14歳からの哲学 考えるための教科書」著者: 池田 晶子

 

*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。

 

「分からん、知りたい、考える」

2019.03.06


池田晶子さんの本をぐうっと入り込んで読んでいると、なんだか今からもう一度ぜんぶ組み立てて行けば良いのだという気持ちになる。

分からないのに分かったようなふりをしていたこと、あらたに芽生えた分からないこと、放置していたこと、自分の頭で、もう一度考えていかなくてはと感じるのである。

自分にとって、やりたいこととは何なのか。そうであるらしいものではなく、だれの価値観でもない、なぜか存在している自分として考えたうえでの、残ったものを、大切にしていきたいなあ。

なんだか知らんがいつのまにか私はとなりのひとではなく私で、しかも強制的に死に向かっているらしいことが、不思議で仕方なかったけど、作者の本を読んでいると、自分はそこで考えることをやめてしまっていたのかもしれないと思ってくる。

私は単純野郎だからまた明日になればひとの目を気にすることもあるだろうけど、でもそのことを感じているのもほかのだれでもない自分だってことが、心にあるだけでも違う気がした。

とっくに14歳は通り過ぎてしまったけど、なんでなんで星人だったあの頃の私に読んでほしい気もする。でも今だから読めたのであろう “考える” ということについて、分からんなりに、答えはないけれど自分で、考えていかなくては。

そうはいってもやっぱり死ぬよなあとは思うけど、気付いたら出現していたのに絶対的に無になることへの恐怖は残るけれど、この本にそのまんま影響されるのではなく自分で考えるということ。勉強は全くしてこなかったしそもそも哲学という言葉すら知らなかったけど(!)、知識を得たいというよりはやっぱり分からないから読みたいのであって、分からないという気持ちを忘れないで、無知な自分を自覚しながら知りたいや表したいを突き進んでいきたい。

それで私はいったいだれでだれの本を読んだの。

とか考えだすとオースター「鍵のかかった部屋」が再び侵入してくる夜、まだまだ読みたい本が無限でいよいよ困っている。ワヤ。おもしろかった。