*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章を転載していきます。
「角田光代さんの読書案内をきっかけに読みました……最高!」(2016.12.17)
いつもはシミルボンにて、「エッセー、随筆」をメインに紹介させていただいているのですが、先日読んだ角田光代さんの「私たちには物語がある」をきっかけに読んだ小説が面白かったので、個人的な繋がりではありますが、感想を書いておこうと思います。
まず、角田光代さんの「私たちには物語がある」とは、これまでに新聞などで書かれた書評がまとめられたものです。
その中で、チャールズ・ブコウスキーという作家について書かれていたのですが、その記述が大変に面白かったのと、柴田元幸さんの翻訳が素晴らしい、というおはなしを聞いていたので、早く読みたいなあと思っていたのでした。
「私たちには物語がある」で紹介されていた「ダーディー・オールドマンの巨大な影」は残念ながら書店に無かったので、2016年6月に復刊された「パルプ」を読むことに。(角田さんの紹介文自体は、作品よりもチャールズ・ブコウスキーに特筆されていたため、良しとすることに笑)
まず、本書を開いてみて思ったこと。
とても読みやすい。
近ごろ国内作家の小説ばかり読んでいて、海外小説特有の翻訳文体に慣れていなかったため不安だったのですが、読み始めるとそんな不安はどこかへ飛んでいってしまいました。それどころか物語の世界にぐいぐい引っ張られ、電車で降りる駅を間違えそうになったぐらいです。(柴田元幸さんの翻訳が素晴らしいから、という理由も大半を占めているんだろうなあ)
チャールズ・ブコウスキーの作品は、ヘンリー・チナスキーという、著者自身を反映させた主人公の視点から語られる場合がほとんどなのだそうです。しかし本書「パルプ」は例外で、主人公はニック・ビレーンという私立探偵。このニック・ビレーンという主人公がまあ豪快で(悪く言えばハチャメチャ!笑)、突然入ったバーの店員と喧嘩を始めるわ暴力はふるうわ……とにかくすごい。笑
他にも綺麗な女性を前にすると突然卑猥な言葉を使うし、すぐ殺人事件に巻き込まれそうになるし――もう危なっかしくて見ていられないのです。しかし不思議と嫌な気持ちにならない――むしろいつのまにかニック・ビレーンの日常に吸い込まれていって、一度読み始めたら止まりません。
物語は、そんな主人公のもとに依頼がくるところから始まります。(なんたって主人公は、自称”ハリウッド一の”探偵なのです!)その依頼がまた突拍子もないもので、「死んだはずの作家、セリーヌを探してほしい」というもので……このセリーヌとは、おそらくフランスの大作家ルイフェルディナン・セリーヌのことを指しており、(ブコウスキーが敬愛していたのかな)当然セリーヌはもうこの世にいないのです。
ということは、もう初っ端から、「死んだはずのセリーヌがどこかにいる!絶対にいる!だから頼む!どうにか探し出してくれ~!」という無理難題な依頼を吹っ掛けられているわけで。
が、そんな無理難題な依頼にも関わらず、ニック・ビレーンは多少言い返しはするものの、「はいはいかしこまりました!」なんてふうに引き受けてしまい、そこから宇宙人は出てくるわ幽霊は出てくるわ……なんだかとんでもない事態に巻き込まれていくのであります。笑
角田光代さんが
こんな男とだけはつきあいたくないと、ブコウスキーの作品を読むたびに思う。
と書かれていたのがこれでもかというほどわかりやすく作品に反映されていて、なんだか読み進めていくうちに、一周回って憎めないどころか愛しく思えてきたわたしは……ブコウスキーの思う壺でしょうか。笑
もちろん本書は緻密に練られた本格ミステリーでもなければ、絶望の果てに一筋の光がさすわけでもなく、ただただ主人公のニック・ビレーン、そして登場人物たちに振り回されるだけの物語であって、著者が読者にそのような意図をもって書いたわけではないと思うのですが。
本書の最後には、翻訳された柴田元幸さんのあとがき、それから作家の東山彰良さんの解説も。著者がいかに愛されていたかがしみじみ伝わる、とても素敵な文章でした。
大人になって、本を読むにあたり、無意識のうちに救いばかり求めていたように思います。もちろんそれは素晴らしいことですし、まさに本によってたくさん救われてきたわけなのですが――幼いころに本を開いていたときの、ただただ物語を楽しむ、空想にふけるという初心を、本書が思い出させてくれた気がします。そしてこの本を読むきっかけになった本のタイトル、「私たちには物語がある」。その心強い言葉に改めて勇気をもらうとともに、新しい海外文学を読むことが今から楽しみでならないのでした。(まずはほかのブコウスキー作品も読んでみようっと)