*以下の文章は、以前読書サイトにて投稿していたものになります。そのサイトが閉鎖される為、こちらに文章をうつしていきます。
「食べたい、のパワーは凄いんだ」
2019.04.07
「残るは食欲」を読んだ。
最近、すこーしづつ食への興味がわいてきて、食にまつわる本をみつけるとつい手に取ってしまうのだ。
といっても私の興味のレベルは、まったく無頓着だった人間がおそるおそる様子を伺う程度のもので、登場する食材や調味料は知らないものも多かったのけど、そこはまあなんとか気合いで想像して読んだ(知らないのに食欲だけはしっかりわいてくるから不思議)。
雑誌「クロワッサン」で連載されていたもので、食の思い出がたくさん。
普段は脇役であることが多い豆腐をメインで堪能した夜。なつかしいケーキ屋さんの味。母親とつくったおつまみ。
数年前まで、私はお腹を満たせるなら何でも良い、というか白ご飯とおかずさえあれば最高!という人間だったが、やっぱり十代の頃の量はもう食べられないし、胃もたれもするようになったし……つまり、小さい頃どうして大人は少しの量をちびちび食べるのだろう?お酒なんて飲み物でしかないのにそれよりも白ご飯を食べれば最高なのに!と思っていた気持ちが薄まってきて、ようやっと気持ちが理解できるようになってきたのだった。
書かれていた、どんな料理であっても「温泉卵」がついていればとりあえず食べたくなる病には大いに納得、いったいぜんたいあの美味しさたるやどういうことなのだろうな、あのつぶしたときの幸福感……あー食べたい食べたい。
そんな美味しそうエピソードを堪能し、それから「一緒に」食べた思い出もたのしんで読んだ。
パーティーでの立食、でのいかにしてふさがった両手で料理・グラス・拍手をこなすかの談義。ローストチキンを振る舞ったり、大きなスイカが届いて奮闘したり時には苦い失敗の思い出も。
私も読みながらいろんな思い出が頭をよぎった。ひとりで食べるごはんも美味しいし、誰かと食べるごはんもやっぱり美味しいのだよなあ。
すっかり影響されて台所に立ち「美味しい」を言い放つ夜、相変わらず自分の単純さには呆れるばかりであったが「食べたい」パワーがある限り頑張れそうだな、なあんて思えた心もお腹も満足な一日であった。